来週、11月29日に新建設新聞社主催のスキルアップセミナーに登壇することになりました。
今回のテーマは失敗について講演する。
資料はバーっと一気に作れたのだけど、講演では合間に雑談的に話すことが大事かなと思っていて、ひたすらテキストや資料を読むのも飽きちゃうだろうと思って色々なネタノートを作る。失敗について話すのは今回の公演が初めてなのでネタノートは無いから本や資料を引っ掻き回して面白い事例なんかがないか試行錯誤している。その作業をしていた為にブログも更新が遅れたのだ(良い言い訳)。
現場をやっている限り失敗しないがないなんてことはほぼあり得ない。失敗を隠すか誤魔化すかリカバリーするかの3択を選択しながら工事は進んでいく。重大な致命傷にならない限りは基本的には現場内で処理をしてしまうし、重大な失敗をした時には手遅れや壊すしかないのも建設業だ。
処理できた失敗は実は負の宝の山だとなかなか気が付いていない会社が多いんじゃ無いだろうか。
現場サイドから考えると確かに失敗について話はしたくない。恥ずかしいという思いやリカバリーするのも技術なのでなかなか表に出てくることがないだろう。さっき書いたように「失敗は負の宝の山」なのに日の目を見る事は無いだろう。言いたくない現場サイドと興味の無い会社サイドでは学習していく事は無いからだ。
最近、戦略コンサルタント的な事でお話を聞いていると、新入社員、中途採用が順調にできている会社はこの負の宝の山を有効活用しているパターンが非常に多い。会社サイドも成功体験より失敗した事、そこからどうリカバリーしたかを検証して組織の財産として活かしている。この辺が周りの建設会社と差がついているところなのかと深掘りして聞いてみると、ちょっと性質が違う事に気づく。
その性質の違いはなんとなく掴みかけていて何かと言うとそれは「現場が失敗を言いやすい会社風土なのだ」
失敗を許容できる土壌のある会社は雰囲気も良いし暗くない。中途入社、新人さんも溶け込むのも早い。失敗をするのが当たり前でクリティカルな失敗を防な事に会社が舵を切っているせいで、自ずと生産性も上がっているのだろう。
失敗をする事はある意味当たり前だし、リカバリーの技術やクリティカルな失敗さえしなければ宝の山となるデーターになる。
それを失敗したと詰ったところで何も生まれないし、怒って萎縮させてもパフォーマンスも落ちるし、失敗した社員の扱いを他の社員は冷静に見ているので悪い方向にしか向かっていかないことだけはたしかだ。
失敗には学べる良い失敗もある事、許容できる組織が勝ち残るんだろうなと僕は思う。