You've got another think coming

土木屋の戯言雑記帳

起業して3周年で思う事。

会社の雑事をこなしている中で、会社の登記簿謄本でもある、履歴事項全部証明書を見てみると、7月9日で3周年が経っていた。感慨深いものがあるかと言えば、周りに食べさせてもらって、なんとかやってきた3年だったと思う。自分なりに試行錯誤しながらやってきたつもりではあるけれど、やっぱりどこか自己満足の世界の狭さもある。営業して自分の会社を売るなんてことも初体験の営業素人童貞である。ここは勝手に仕事がくれるだろうな思うところが無反応だったり、ここは難しいだろうなと予想していたところから仕事が来たりと商売ってのは難しくも面白いと感じれた。

仕事の他にやる事は多すぎて、中途半端なスモールビジネスってのはこりゃ大変だと思う。お金があれば経理、給料、役所の手続き、税金諸々と外注に出せるけど、外注費で利益がなくなってしまう現実もあり、ほぼ自分でやることになる。2年目くらいからは大分慣れてきてルーティンワークになってきたけど、やはり面倒臭いことが経営には多すぎる。とにかくなんでもハンコと印紙やらなんやらで書類が進まなくて、大人なサイトの広告として出てくる小さい×ボタンを押すが如き、煩わしさであった。それでも年末、決算等を除けば落ち着いてきた。次に問題というか、課題になったことはコロナの影響は微小ではあったけど、毎月、ある程度の決まった額が納入される仕事がないとキツイ事とスケジュール管理が全部自分なので休みをうまく消化できずに不安から仕事してしまったりで1人で勝手に疲れてた。仕事が立て込んで忙しいのは疲れないけれど、仕事が無い不安からとりあえず何かする仕事はとてつもなく疲れたし、徒労感から不安が増大するだけなので辞めた。色々と足し算思考から引き算思考に変わった事で見えてくるものがあって、確かに仕事は欲しいけど、実績もない人になかなか発注できないし、鼻息荒くこっちが熱心に営業しても、相手のスケールメリットを考えれないようじゃあ仕事は来ないなと。不思議なもので顧客寄りな考えで自分に出来ることを当てはめたらなんとなく仕事が回るようになってきたのは不思議ではあったけど、納得できる部分もあった。あととにかく言える事は周りの人に恵まれてた事と運も多少あった気がする。尊敬する漫画の主人公でもある、眉毛に特徴のある国際的なスナイパーの名言を思い出す。「10%の才能、20%の努力、30%の臆病さ、残る40%は運だろうな」と。ちなみにスナイパーは女性と致してる時も無表情であり、それは俺には無理。

そんなこんなで4年目は新規事業として、トンネル、補修工事をやる事にした。前職で人間関係に疲れたりやらで1人起業したけれど、やっぱりモノを作ること、直すことが好きなので工事業界に戻った。不安もあるけれど楽しみもたくさんある。会社がどうなっていったり、どんな人と繋がれるのかと久々にワクワクしている自分がいる。

最後に最近、聞かれる事として、起業したいって相談される事がある。僕から言える事は「起業したての頃は貯金通帳見ると泥棒が入ったのかってくらい残高減るよ」と。

起業の先輩風を吹かせて、今朝、自分の口座を見たら、強盗に遭ったような残高になっていた。

 

 

お金持ちは変わり者を考えた。

日本人気質というか、基本的にはどこの国の人であれ、なるべく周囲の人と同じでありたいや、雰囲気を壊して、周囲から浮くことには恐怖をかんじるだろう。みんなと同じでありたい、同じからくる一体感なんてものを得ようとする。そういう人が悪いわけではないけれど、周囲と違うことをする人に対して、異常なほどに排除したり、非難したりする傾向にあるように思う。「みんな違って当たり前でそれが良い」って発想を忘れがちになり、自分の考えと異なる人を見るとイライラするのだろう。コロナである程度のルールが暗黙のうちにできてくると、例えばマスクの着用を一瞬忘れただけでも大騒ぎしたり、非難することになる。

周囲に強迫的な同調を強いる人の特徴は社会や情報の刷り込み、常識という固定観念にある。つまりは簡単に言うと「孤独」が怖いのが根底なのだろう。孤独が怖いあまりに心のどこかでマイノリティな考え方をする人を排除したり、連帯して追い出したりしようとして、その意識が沸騰するとイジメや差別を生み出す素地になる。そもそも人と違うからと言って、相手が悪いわけではなく、自分が悪いわけでも無い。ただ価値観や生き方が違うだけで、生きてる世界が違うだけなのだ。本来は別々で生きればよいし、違っても相手に尊敬を持って、生活していけば良いだけである。

お金を稼げる人が変わり者と感じてしまうのは、協調性や社会性より自分や他の事に疑問を抱き、周囲がなんと言おうと、自分の信じた道を突き通す力が強いので、社会や周囲、仕事を変革する推進力が半端じゃ無い傾向となる。社会性がある事は素晴らしい事だけども、クリエィティブな発想をするには社会性に囚われすぎる事は逆効果となり、突拍子もない事をする人は社会性なら意識は希薄なら感じるから、変わり者に見えるかも知れない。

僕の周りのいわゆるお金持ちと言われてる人は確かに社会性が希薄な部分があるように感じる。お金を稼げる人になりたいなら周りに合わせたり、社会性は邪魔なのかも知れない。仕事とプライベートの区別もハッキリしているし、プライベートにおいては社会性というか、一般常識もちゃんと持ち合わせている。バランスの良さというか、区別化して明確に実行している人がお金持ちになる人なのだと気づいた。

多種多々の欲望を実現する為にお金持ちになりたい自分としては変わり者試験はクリアしてるのに、発想力の無い変わり者なので、絶対お金持ちなれないじゃんと悲嘆した。

 

怒りのピークは6秒で収まるのは本当なのか考えてみた。

最近はそうでも無くなったけど、老害まっしぐらの僕は異常なほどに怒りっぽい時期があって本当に悩んでいた事がある。ネットでいろいろ調べて、アンガーマネジメントの本を読む事もあった。そんな中で「怒りのピークは6秒」って記事をみつけた。どういうことかと言うと、怒りが沸点に達しても6秒我慢すると、大概の怒りは収まるって理論らしい。なるほどこれは簡単と実践に移すと少々の怒りは納めることはたしかに可能そうではあった。

「人間は考える葦である」と誰かが言った様に何かを学ぶと、人は限界を試したくなる。過去の超ご立腹案件を思い出し、6秒で怒りを納めれるのか試そうかと思ったけれど、良く考えると、10年以上も前の案件でも未だに腹立たしい物が収まるハズもなく、昨日の事のように激怒できる自信はある。なぜに6秒ルールで怒りが収まらないかと考えると「怒りの種類が違う」と気づいた。目的の達成や相手の事を思っているのになどの気持ちや行動が阻害されると、不安や辛さ、悲しみなどネガティブな感情に支配されることになる。一時的な感情が蓄積されると、怒りという形で感情を爆発させることで自己防衛を図るシステムが脳内作動する事になる。怒りをコントロールするには一時感情をいかに小さいうちに発散させるかにかかってくるのではと思う。

怒りをコントロールすると言う事は仕事をしていく上で、非常に有意義な側面や恩恵があるわけで、「生産性の向上」「不当なパワハラの予防措置」などの様々な形で良い方向に導いてくれるのは間違いない。

どうやって怒りと向き合い、付き合っていくかと考えると、「~の方が正しい」「~した方がいいのに」「こんなにしてあげてるのに」などの感情を抑えることが、重要になってくる。「ダメな物はダメで仕方ない」、「そんな考え方もあるのか」と転換できると怒りとだいぶ上手に付き合う事ができるような気がする。怒りの感情には良いも悪いもないので、怒り爆発の前兆を感じたら対策を講じれるようにマイルールを確立する事が肝要だと思う。

仕事の完璧主義からの理想を追い求めることは怒りの原因になることが多いので、他人は自分とは違うので言動も態度でも気にしない。「他人や自分ではコントロールできないことは仕方ない」と割り切ると決めた。

今度から小さい怒りは6秒ルールで抑え込む、大きい怒りはハーゲンダッツを自分ご褒美として振る舞うマイルールを採択した。早速の怒り案件発生もマイルール適用でハーゲンダッツで乗り切ろうとコンビニ立ち寄った。レジの前に並んでいると、「2番目の方はこちらのレジへどうぞ!」と店員さんから声がかかった。するといきなりオバサンがレジに割り込み、僕のレジ権利は消滅した。その瞬間にとてつもない怒りが込み上げてきたのであった。6秒でギリギリ収まるサイズの怒りではあったけど、まだまだアンガーマネジメントなんて事は遠い先の話で練習せねばと僕は自己嫌悪に陥った。

買い物を終えて、エコバックを覗くとハーゲンダッツは2個だった。

SDGsがアフターコロナの救いとなるのか考えてみた。

最近、目にすることが多くなってきた言葉がある。「SDGs(エス・ディー・ジー・ズ)」。どういう意味かと簡単にすると、「持続可能な開発目標」ですべての人々にとってより良い、持続可能な未来を築いていくための目標や取組を行う事となる。17の目標があって、貧困や不平等、気候変動、環境劣化、平和や繁栄など念頭に目標とすることで、誰一人置き去りにしない、社会を2030年までに各目標、ターゲットを達成していくと。

 

1.貧困を無くそう

2.飢餓をゼロに

3.すべての人に健康と福祉を

4.質の高い教育をみんなに

5.ジェンダー平等を実現しよう

6.安全な水とトイレを世界中に

7.エネルギーをみんなに、そしてクリーンに

8.働きがいも経済成長

9.産業と技術革新の基盤を作ろう

10.人や国の不平等を無くそう

11.住み続けられる街つくりを

12.作る責任、使う責任

13.気候変動に具体的な対策を

14.海の豊かさを守ろう

15.陸の豊かさも守ろう

16.平和と公正をすべての人に

17.パートナーシップで目標を達成しよう

この17の目標が2030年に向けて世界が合意した、「持続可能な開発目標」となっている。こうしたことは政治や自治体、NPO法人や市民団体がやればいいだろうと思ってい

る人も多いと思う。目標をよく見ると、国単位や会社単位などで取り組むべき目標も見受けられるけど、自分個人体位で気にかけることで目標を達成できることも、ずいぶんとある。逆に言い換えると、そういう事実が今までには多かったが、文章化されること

もなく、見過されてきたともいえる。17の目標を達成できることで、世界は限りなく住みやすかったり、生きやすくなる事は間違いないはず。個々の資質に任せていたものを目標として、社会運動や会社として取り組むことなどで、明確になっていく事は非常に有意義だと思う。

各分野におけるビジネスの本質は「効率と利益の追求」となる。効率を追求していく資本主義の基本原理が様々な問題社会問題となってきている。非効率だからとお機材理にされていた問題や人々を地域も含めた形でビジネスをデザインし直す事で根本的な解決に向かっていく事になるのだろう。実際にどういう対策をや考え方をしていくのかと言うと、身体に不自由がある人や高齢者はなかなか雇いずらい現実もあって、雇い入れたとしてもできる作業が限られていたり、スピードが遅い事から、給料は低くなってしまう。無理のない作業とスピードでも十分に給料を払っていけるようにすることが大事となる。それにおいては商品価値を高めることが重要で付加価値の高い商品なり技術力を提供する事で、値段の安定化(高値維持)を図ると。いずれにしても成功している企業は中長期化でのビジネスモデルを構築していて、初めてすぐに効果が出るという事は稀だと思う。目標を10年単位で国、地方、企業が取り組む意味は大きくて、その傾向が1個人としても浸透し、実践していくことで世界が良くなっていく事ができると本当に素晴らしい。

僕のいる建設業界では長寿命化への補修や改修工事がメインになっていくだろう。メンテンナンスして長く使えるもので、環境にも資産的にも優しい社会基盤整備が軸になっていくはず。今までの大量消費や新しい機能の新製品による買替など、モノがあふれている時代に一石を投じる運動だと思う。ただ企業の取り組み方にもいろいろと問題があって、例えばみんな大好きApple社は「SDGsで脱炭素化を推進する」と目標を掲げて、iphone12から充電器の同梱を辞めたけれど、その結果別売りの充電器を買う事になり、余計なゴミなりで環境負荷になってしまったと。企業では看板なり運動する事による、企業イメージの向上等をねらったお題目でのまやかしの運動になり得る心配もある。やらないよりは全然マシだけど、充電器で言えば互換性が高く、各社と共通の規格で出すほうがよほど脱炭素化に寄与するわけで、単純な運動ながら、いざ実践となるとなかなかにビジネスモデルを構築して利益化するのは骨が折れる。ただ苦労に見合う対価や企業としての姿勢やイメージが明確になることで様々な恩恵を受けることができることも魅力ではある。いずれにしても「環境にやさしいデザイン」「サスティナブルです」なんて上辺のSDGsから本物になって、資本主義の原則である経済活動と並走できる社会になって欲しい。

経済の追求した先が不経済だったなんてオチは悲しすぎる。

「今の時代に歓迎される本当のデザインは長期的に不変に使える設計こそがイノベーション」なのだろう。

 SDGsが浸透する事で、世界が少しでも置き去りにされる人や差別される人、経済的に困窮する人を救えるような社会になる為の大事な社会基盤整備の第一歩になって欲しい。

 

変化が激しい時代のサバイバルについて考えた。

緊急事態宣言の延長やらで、いろんなことが新型感染症により起きている。様々な変化の中であっても個人としても会社としても生きていかなきゃならない。サバイバルの意味を調べると「遭難、災害などの生命の危機からなんとかして生き残る事」とある。社会全体にとって大なり小なりの被害を受けている現状を考えると、遭難、災害級の危機と言う事になるだろう。局所的な災害はあれど、全世界でここまでのダメージを負う事は想定もしていなかったし、発生当初は来年くらいには落ち着いているだろうなどの、楽観的な予想も木っ端微塵に砕かれた感はある。勿論、生命に関する危機が第一ではあるけれど、生命を維持するための経済活動のほうが、これからは瀕死の状態になるだろうなと思う。

 

そんな中で会社としてはどうやって生き残っていくのかという事が、喫緊の課題となる。バブル的な景気回復が急上昇に起きる事は基本的には無いはずで、特効薬などが開発され、自粛ムードからの解放感で一時的な消費活動で経済は上向くだろうけど、落ち着いたらすぐに急落していくだろう。いろいろな業種のマーケットの中でサバイバルしていくには、長期的な展望でも良いので、「なくてはならない会社」になる事だろうと思う。それは勿論、個人にも言えることで、働き手がいない現状でも、将来的に補う新技術は必ず現れるし、人は慣れて受け入れていくので、少人数での仕事環境が進むので、技術や実績のない人にとっては将来性や賃金面も含めて、難しい未来になっていくのかも知れない。逆に会社として小人数で仕事していく事が可能にはなるが、従業員のスキルや知識のウエイトが大きくなるので、属人化していく事を注意して経営していかなければ、退職時にはとてつもない大打撃を負う事になる。

長期的な展望でなくてはならない会社に成長していくには何を実践していくのかと考えると、技術的な部分においては各マーケットの分野でドンドン進歩し、新技術が生まれて淘汰する事を繰り返していくなかで、社会のニーズや変化に対応する技術を開発する事や変化を恐れない姿勢を基本に、「事業の社会性とサスティナビリテイ」を重視していく事が大事になるだろう。

最近、よく聞くサスティナビリティって言葉を使ってみたけれど、要するに「長い時間をかけて、世の中に貢献し、支えていく会社の経営をしていくので、巡り巡って儲けさせてもらいます」ってことなのである。

三方よしで有名な近江商人が言う「商売は世の為、人の為、利益はその当然の報酬なり」って300年以上も前の言葉がどんな時代であっても基本なのだろうと思う。逆に「今出だけ、金だけ、自分だけ」の会社は倒産していくだろう。社会に貢献する事と儲ける事は対立関係には無いはずである。対立すると考えている会社はユニークさや求心力が低い傾向にあるので新しいモノの開発や発想が希薄なので、人材不足で安ければなんでも良いという会社が集まり、長期的に応援してくれる会社は離れていく。社会性を重要視することは「周囲を巻き込む磁力」となりえる。やはり面白そうな事を考えて社会にアピールしている会社に世間は興味を持ってくれるし、社会も認めるだろう。

けれど社会性も結構だけどこの未曽有の現状をどうやってまずは生き残るかは難しい課題ではある。会社としては生き残るには儲けなければ存続できない。過去に学ぶとするならば、近江商人の十訓ではこう書いてある「商売には好況、不況は無い。いずれにしても儲けねばならぬ」と。過去も未来もなかなかに手厳しい。

 

 

 

 

 

 

儲かっている会社は仕事の断り方も上手いと感じた話。

仕事をしていく上で、断る必要がある場面は多いけれど「断りづらい」、「断ったら次の仕事貰えるだろうか不安」などのケースが考えられる。その迷いから上手く断ることができず、顧客や担当者との人間関係までもギクシャクしたりすることもある。

まず第一前提として「仕事を断ることは失礼では無い」。仕事が断れない人は「嫌われたらどうしよう」「上司、お客様の要望には無理してでも応えたい」「仕事が出来ない人と思われたくない」を考えて、断りきれずに曖昧なまま受注スタートして、残業続きで挙げ句の果てには無理してクオリティの低いものを納品して、更にやり直しで利益も確保できない事態に陥ることになる。その他の弊害としては、全てイエスと仕事を受けると「面倒な仕事や利益の少ない仕事は頼めばやってくれる」とドンドン仕事を依頼される、悪循環ループが始まってしまう。色んな状況を考えて断ると言うことは悪では無いと言う認識を持つ事が大事なんだろうと思う。

タイトルの通りだけども、業績の好調な会社、所謂、儲かっている会社は仕事の断り方も上手い。断ることでスッキリ無理なく、クオリティ落とさずに受注しているし、断った会社に再度仕事貰っっても、内容や条件の悪い会社の受注は決してしない。断り方は「感謝と理由とちゃんと断る」。そして代替案があるなら提示する。曖昧な断り方はしない。埋め合わせしたい気持ちをコーティングする事も大事だけど、ダラダラ長くすると言い訳がましいので、短く伝える。

断り方が上手な会社が儲かる理由は効率だけではなく、クオリティを下げて安請け合いしない事が相手にも伝わるので、また機会があったら頼みたいと思わせている。逆にいつでも断られると条件とかで隔たりがあるのだろうか?など考える事もできる。いずれにしても社員の負担だけが増大する仕事は避ける事で品質と利益を確保している。

「上手に断る事も重要な仕事」と確信した。仕事を受注する事も大事だけど、社員の負担に見合わない仕事を継続受注する会社組織は破綻に向かう。

「NOと伝える事も技術」上手な断り方を身につける事は自分も相手も総体的に守る事ができる。重くなりがちな、仕事上の人間関係を軽くして、上手にビジネスを高めれる関係を築いて行きたい。

顧客への伝え方はテレビ的な方が分かりやすいと思った話。

 テレビと言うものをほとんど見なくなって5年くらい経った。ではそのテレビを見ない時間はどこに行ったかと考えると、YOUTUBEや読書、ゲームなんだろうと思う。

題目に書いた伝え方はテレビ的な方が分かりやすいなんて言ってるのに、テレビは見ないとはなんだと思われるかも知れないが、見なくなったからこその良さが見えてきた部分がある。

 営業をしていると相手の話や困り事などを加味しながら、自社アピールや優位性を織り交ぜていく事になると思うが、話や営業の進め方がYOUTUBE的だなと感じたことがあった。自分では得意な営業スタイルとしてやっているつもりでも、自社アピールになると捲し立てたり、他社との比較については下手したらヘイトスピーチ的に煽っているやり方になっているんではないかと。営業としては従来の得意先では平常心で心穏やかに自社アピールでもなんでできるが、新規や紹介された営業先に行こうものなら、俺の思い、熱よ伝われと出来の悪いYOUTUBERが如く、捲し立てることになる。

 そんな営業スタイルが自分ではなかなかイケてるのではと思っていたけど、事務処理仕事を会社でしていると、自分の営業スタイルと同タイプの営業マンが来社した。「あの会社では対応できない部分がありますが、当社では対応可能です!なぜならホニャララ#%$&」と言った感じで熱は伝わったけど内容は分からなかった。

 営業マンが帰った後で僕の営業スタイルは微妙だと感じた。軌道修正しないと何件回っても同じだなと感じた。話を聞く側は基本的に話す側より、圧倒的に熱量が低いのだ。残念ながら来社したから、仕方なく聞いてくれている。顧客側としたら「こちらが思っている以上に話を聞きたいと思っていない」現実が立ち塞がる。

 逆に考えてみると「聞く気の無い相手に聞く気にさせる」事が大事。相手の環境、体調等で同じ話でも受け取られ方が変わることを考慮すると、聞いてもらえるようなコンディション作りが重要。それには相手に「結局、何が言いたいんだろう?」的な疑問状態を回避する事で結論に至るまでに「相手を疲れさせない、無駄な頭を使わせない」ことが肝要になる。無駄に問いかけて考えさせる労力は聞く気の無い相手にとっては苦痛以外の何物でもない。

 YOUTUBE界でもトップの人達は勿論、長尺でも見ごたえはあるけれど、一般的な解釈で尺が短くなった理由は構成や内容がが一辺倒な部分が多く、その利点としては短時間でメリットや情報を凝縮できるけれど、長尺になると苦痛になり次の興味ある動画に移行してしまう。ではなぜテレビ的な方が良いかと感じたかと言うと、最初から30分など時間が制約される中で構成を考えるので、非常に分かりやすく、使い古した表現で結論に至るまでに前置きをするので、頭を使って疲れさせるようなこともせずに結論部分で興味を引かせる内容を考えている。結論部分で思考してもらえば良いのに、最初から相手を捻じ伏せる勢いのトークでは相手も疲弊するだろう。

 テレビ的表現と言えば、ニュースでも棒、円グラフなどを多用して、いわゆる「ベタな表現」でまずは視覚的に認識してもらい、興味を引いたところで肝心な結論部分を伝える。わかりやすい表現をすることを積極的に多用することは有効。「人は見慣れたもは直感的に内容を認識できる」この部分をほったらかしにしていくら力説しても響くことはないだろう。

 なんとなく今回の事を考えてみて、建設業らしく、自分なりにマニュアルよろしく、営業時の設計図を組み立てて実践すれば良いなと思ってはいるが、いざ実践となると用意した資料を見せなかったり、いつも通りのスタイルで、脊髄反射的に実践で使用するには経験不足が露呈して眩暈がした。