You've got another think coming

建設会社の総合サポート屋の考える事

自己肯定感の低さに苦しむ必要はない話。

「自己肯定感」なんて言葉を認識したのはここ何年間じゃないだろうか。

以前はあまり使うことが無かったし、なんて表現していたかも忘れてしまった。とにかく自己肯定感という言葉は時代に乗って一気に市民権を得た感がある。

どういう意味合いかと言えば、自己価値に関する感覚で「自分の存在そのものを肯定的、好意的に認める感覚」のことだとある。ぼんやりとしたニュアンスでしか考えてないけれどなるほどそういう感覚かと納得した。

なかなかこの言葉を良い意味で使っている人が確かに少なくて、自分の価値を認める事よりも否定的な意味合いで使う人が多数な気がする。

なにか仕事でうまく行っても偶然とか、課題はまだまだあるから克服したいなど、自己肯定感を微塵も感じさせない人が多い。

遠慮して、裏では自己肯定感ハイになっている人は凄いかと、表面でそれを表現する人はいない。成功すると不安を口にする事が逆に多くなる不思議ではある。

自分の考え方もあるけれど、メディアもいけないのかなと思う事がある。アメリカと比べると云々などの論調が蔓延っているからだ。

でも確かに欧米と比べると自分自身に満足しているか?とアンケートすると欧米は役80%で日本だと45%程度らしい。極めて低くて半分程度しか自分に満足していない人が日本人では多い。

でも欧米人も日本人は文化も生活も違うからアンケートは無意味とは言わないまでも、そこまで当てならないと思っている。

では日本人の自己肯定感の低さはどこからとなると「自分のに安易満足しない、未熟と考える向上心と相手の気持ちになると大袈裟に喜んでいてはいけない」。

日本はこの文化が標準なのだろうと思う。無理に自己肯定し、人を押し退けてでも軽くみられないように振る舞わなきなゃならない社会ではないからだ。日本では謙虚さを持っている方が物事がスムーズに運ぶ事も多い。

人を成長に導く自己肯定感との付き合い方はあからさまではなく「謙虚に振る舞い、不安と戦い、自分や困難をなんとかしようと努力する姿勢」が大事だと思うし、力のある自己肯定感に繋がるはず。

ただあんまり不安に悩むと肯定感が低いから否定的になるので、淡々とタスクをこなす事が力になる。

あらさまにしなくてもせめて自分にだけはとタスクが上手く行って、次の課題に取り組む時はご褒美プレゼントをあげるのは凄くメリハリがあって良いと思う。

自己肯定感ばかり高いのも問題、低いのも問題色々とコントロールして、ある程度ニュートラルに保てるように日々を過ごしたい。

僕は自己肯定感が大した低くないときも、タスクもそれなりにしかこなさなくても、なぜか肯定感を上げるご褒美が何かないかと探して買って自己嫌悪する。

自己肯定感との距離感については全くもって考える余地しかない。