You've got another think coming

建設会社の総合サポート屋の考える事

悩まないようにするのも悩む話。

生きていれば必ず悩みはあるわけで。悩みがないように見える僕にだって一応は悩みはあるわけで。

ただ悩みの質と内容が以前よりはだいぶ変わってきているように思う。

前は他責的からの自責的を経て、自己嫌悪ループだったのが、今は自己責任からの他力本願からの自力本願になろうとして挫けるパターン。

そう考えると逆に質の話をしたけれど悩みの質は低下しているかもしれない。

なんにせよこんなに悩んでも答えは出てこないし、解決したところで次の悩みが立ちはだかるだけ。うまく付き合うしかないと思いつつもやはりふと、考えてしまう。

会社経営している、なんてなるとお金もかかってくるので、加速度的に悩みが深く重くなる。

他人からの悩み相談にはある程度冷静に答えれる癖に何故なんだろうと。

人の悩みや苦悩を解決する為のコンサルティングもしているのに自分の事になると何故に対応にこんなに違いができるのだろうか。

仕事として考えてみると相手の立場になることやお互いに解決の道を探る事で重宝されるだろうし、問題が起こった時にどんな対処法があるだろうか、一緒に探る事で新しい解決の道や方法が現れるかも知れない。他人の問題を自分事で捉える事で円滑なコミュニケーションも図れるだろう。

ただ、自分の悩みになると途端に負の方に向かっていくのはなんでかと考えると「良い意味で他人事にできない」からである。

俯瞰的、客観的な判断が自分の悩みには出来ないことも多いし、コントロールできない悩みを考えてもと思うけれどやはり、負の思考沼にハマってしまう。

当事者なので当たり前だけど、当事者意識が強すぎて、他人事に考えられないから、視野が狭くなる。

ではどういう方向で自分の悩みと向き合っていけば良いかと考えた「自分じゃなくて、他人に起きている問題」と置き換える事にした。

置き換えて考えると、ある程度の視野の広さを確保できるような気がする。

自分を主人公にしてしまうと、思考がinからの陰になるけど、他人事に置き換える事で少しは悩む思考の方向性が変わった。

他人事なんて字面は良くないけれど、当事者だと見えない事も冷静に見えるものなのかもしれない。

「何でも自分事に捉えるクセは疲れるだけなので卒業しよう」

それでも考え込んでしまうなら信用している他人に相談した方が良いなって思ってから気が軽くなった。

心配なのは軽くなりすぎてスーパー他人事モードにだけならないように気をつけようと思う。