You've got another think coming

建設会社の総合サポート屋の考える事

正論も伝え方次第を考えてみた。

先日、気になる記事を見てうーんと考え込んでしまった。

新人研修をしていた講師が研修中に居眠りやスマホをいじっている状況があり、そんな中新人の1人が遅刻をしてきた。気を引き締めるためにも講師は「遅刻はダメだ。次からは遅刻しないように」とそれほどの強い口調ではなく、注意した。もちろん講師だって今の時代に「遅刻なんてもってのほかで、社会人失格だぞ」なんて昭和的な怒り方はしてはいけないことは重々承知しての叱責というか注意。

ですが新人は研修期間の終了を待たずに退職。

それを受けて講師は人事部より注意や叱責を受けることになったと。

ソフトな口調で注意しても、このような結果になったのは何故かと考えてみると、全員の前でつい注意したことが講師のミスだったのかもしれない。

講義の終了後にでも、注意していたら結果は変わっていたかもと思います。

今の時代背景を考えると周囲から目立つことやましてや良い事での目立つことさえ、出る杭は叩かられるのではと喜ばない傾向になってきている感がある。

その一方でハッキリと意思を表明することもある。

飲み会や仕事のリーダー的なことを依頼するとハッキリと「勘弁してください」、「辞退させてください」と。

仕事に於いてはこれからの自分の人生にも生活設計にも役に立ったり、スキルの向上にも繋がるしとアドバイスしても、「自分より適任者がいると思います」と。

「成功も失敗も糧になるよ」と言っても、決断を翻意して承諾することはなかなかありません。

若者だと尚更その傾向は強いけど、今の時代的に「リーダーや責任者は貧乏クジ」って事も上の世代はハッキリと認識して、言動も行動もしないといけない。

ネットであらゆる事が比較でき、選択の失敗を回避する。

そのことを直感的にわかっている若者や認識し始めた中間層にも、多少のインセンティブがあっても貧乏クジなのだ。

そのことを理解しておかないと、例えば正論であったとしても、伝え方次第で伝わり方が湾曲して伝わったりしてしまう。

そこまで媚びて部下と付き合うのかという人もいるけど、大なり小なり若者に対してのジェネレーションギャップは上司も先輩もいつの時代でも感じていたのに、みんな仕事がてきるようなったり、時間の経過と共にその時の境遇や思いを忘れてしまう事が問題を大きくする。

みんなの前で怒られたりすることなんて、いつの時代であれ恥ずかしくて避けたいことなのだ。

昔、先輩に「年寄りは知恵を使え、若者は体を使え」と言われた事がある。当時は何のことか朧気にしか分からなかったけど、歳をとった今は理解できる。

若者に老害もなかなかやるなとか、一理あるなと柔軟なジジイと思ってもらえるようになりたい。

話題の森さんみたいな老害の皇帝がいるうちに。