You've got another think coming

建設会社の総合サポート屋の考える事

大共感時代の生き方を考えてみた。

「世は正に大共感時代」

 

ワンピースファンなのでつい使ってしまった。

SNSが当たり前の時代になり、その時代に合わせてプラットフォームを変えながら、生活の一部になっている。さりげない金持ち自慢、リア充自慢、個人的に作成したものや作品を発表できたりと良い面も悪い面もゴチャ混ぜになって、色々な事がネットに溢れている。

良い事も悪い事も拾捨選択は自由で自己責任が基本ルールとは言え、これだけの主張があれば悩む事もあります。

ネット上の「こんな生き方良いでしょ」「こんな商品があったら便利でしょう」「これ美味しそうでしょう」などなど発信者から共感お誘いは絶えず流れています。

大共感時代に受信者が寄り添って生きていくには、周りに合わせるや、目立った事はしないと言う傾向や、所謂、空気を読む能力的なものが若い世代を含めて多くなってきている気がする。そんな時代になってきているからこそ、些細なこと取るに足ら無いことで気にしすぎたり、小さい事をいつまでも引きずってしまう人が出てくるのも仕方のない事かと思う。言ったほうは気にしてなくても、受け取った方は真意が読めなくてモヤモヤしたりするので、そんな事が続くと考えすぎなのだろうかや過敏になっているのだろうかと、生きづらさを感じる場面が出てくるのが、大共感時代かなと思うときもあります。

相手に共感しすぎてしまったり、考えすぎる事で過剰反応して疲れてしまう。そんな事は大なり小なりは生きている限るはあるのだろうけど、これだけ情報が溢れている時代に聞きたくない事でも勝手に共感して考え込んでしまう事もあります。

かくいう僕もふとした事で言われたことが非常に気になったり、一応の保険や社交辞令的に相手言われた仕事の依頼であっても時期が重なったらどうしようなどと考え込んでしまったり、結局、本命にしてた仕事も社交辞令仕事も重なることは無く、スカスカになったりと考えすぎたり相手に共感して、考えすぎても受け取り側は何もコントロールできません。

僕らが仕事していく環境は中小企業というカテゴリーに属しているの事が多いです。故に人間関係が濃厚に絡み合う、非常に難しい状況が生み出されている魔境となります。

例えば上司に確認や念のために質問すると「そんなことも分からないの?前と同じでしょ!!」や嫌われているのでは?苦手だなと思う相手に仕事だからと無理に話しかけて「・・・・沈黙」など。

共感しすぎる人はパワハラの的になりやすいと僕は感じています。幸か不幸か共感しすぎる人には何故か皆が甘えてなのか、ナメているのか分かりませんが強めにあたるように感じます。

こういう理不尽な目やスパイラルになる事で自分を責めて罪悪感を背負うのではなくて、質問や念のためと問う事は「自分は慎重なんだ。ミスすると余計に迷惑かけるから」や苦手相手には「人の感じ方はそれぞれ、距離をおいたり、時間をかけよう」などなど良い方向に変換していく事が肝要かと思います。

共感しすぎて生きづらいやいろいろと引きずってしまう人は仕事に関して言えば、非常に優秀だと思います。同じ質問が何度も来る、確認が多い事から自分の無い人や受動的だととらえる人も多いと思いますが、ミスは少ないし、タスクはスケジュール通りにこなしてくれます。

先ほど言ったように共感体質の人に対して、パワハラの的にする様なことが続くと、共感体質な人は自分に生きやすい環境が見つけられたら、すぐに共感していなくなります。少し野暮ったいと感じることもありますが、会社やチームしてはは味方にいると頼もしい心配性でもあり警告ブザーでもあります。くだらないパワハラや環境で非常に優秀な人材を失う事無いようにご注意を。

 

 

 

自己肯定感の低さに苦しむ必要はない話。

「自己肯定感」なんて言葉を認識したのはここ何年間じゃないだろうか。

以前はあまり使うことが無かったし、なんて表現していたかも忘れてしまった。とにかく自己肯定感という言葉は時代に乗って一気に市民権を得た感がある。

どういう意味合いかと言えば、自己価値に関する感覚で「自分の存在そのものを肯定的、好意的に認める感覚」のことだとある。ぼんやりとしたニュアンスでしか考えてないけれどなるほどそういう感覚かと納得した。

なかなかこの言葉を良い意味で使っている人が確かに少なくて、自分の価値を認める事よりも否定的な意味合いで使う人が多数な気がする。

なにか仕事でうまく行っても偶然とか、課題はまだまだあるから克服したいなど、自己肯定感を微塵も感じさせない人が多い。

遠慮して、裏では自己肯定感ハイになっている人は凄いかと、表面でそれを表現する人はいない。成功すると不安を口にする事が逆に多くなる不思議ではある。

自分の考え方もあるけれど、メディアもいけないのかなと思う事がある。アメリカと比べると云々などの論調が蔓延っているからだ。

でも確かに欧米と比べると自分自身に満足しているか?とアンケートすると欧米は役80%で日本だと45%程度らしい。極めて低くて半分程度しか自分に満足していない人が日本人では多い。

でも欧米人も日本人は文化も生活も違うからアンケートは無意味とは言わないまでも、そこまで当てならないと思っている。

では日本人の自己肯定感の低さはどこからとなると「自分のに安易満足しない、未熟と考える向上心と相手の気持ちになると大袈裟に喜んでいてはいけない」。

日本はこの文化が標準なのだろうと思う。無理に自己肯定し、人を押し退けてでも軽くみられないように振る舞わなきなゃならない社会ではないからだ。日本では謙虚さを持っている方が物事がスムーズに運ぶ事も多い。

人を成長に導く自己肯定感との付き合い方はあからさまではなく「謙虚に振る舞い、不安と戦い、自分や困難をなんとかしようと努力する姿勢」が大事だと思うし、力のある自己肯定感に繋がるはず。

ただあんまり不安に悩むと肯定感が低いから否定的になるので、淡々とタスクをこなす事が力になる。

あらさまにしなくてもせめて自分にだけはとタスクが上手く行って、次の課題に取り組む時はご褒美プレゼントをあげるのは凄くメリハリがあって良いと思う。

自己肯定感ばかり高いのも問題、低いのも問題色々とコントロールして、ある程度ニュートラルに保てるように日々を過ごしたい。

僕は自己肯定感が大した低くないときも、タスクもそれなりにしかこなさなくても、なぜか肯定感を上げるご褒美が何かないかと探して買って自己嫌悪する。

自己肯定感との距離感については全くもって考える余地しかない。

長期的思考で仕事は劇的に変わるはず。

「この世の中で無くなったら困るものは?」と聞かれるとウーンと悩んでしまう。

質問は勿論、人や会社や無くなってたらマジでヤバイ奴ではなくて、例えば食べ物なんかの事かなと思う。

 

何をするにも買うにも悩むと僕はすぐにAmazonで買い物してしまう。

原則的に無くなるのはインターネット困るけど、そこを除くと大概のものをAmazonで済ます僕はAmazon依存してる。

 

映画見るにも、読書するのも、仕事の物でもAmazonである。

Amazon創業者のジェフ・ベゾスの新刊を読んでいる。今回は自分自身で語った初めての著書的な事も書いていて、過去に読んだジェフ・ペゾス本は誰が語った言葉かも分からないのに、感銘を受けた僕はアホだなと思いながら、読み進めてる。

 

章に分かれていろいろな話をしているのだけれど、経営に関しては長期的に継続していく事を考える事がイノベーションを可能にする。

「長期的な視点は発明に不可欠だ。発明の過程では、かならずたくさん失敗するから」

長期的思考をする事で短期的な利益を得ることができなかったり、利益と相反していても着実に市場リーダーとなれるように地位を固めるべきだと。

 

「お客様は鋭く賢いということを大原則に掲げています。……安心している余裕はありません。私は社員たちに、不安を抱き、毎朝恐怖しながら目を覚ますように繰り返し伝えています。恐れなければならないのはライバル企業ではなく、お客様です」

この言葉には凄く感激してしまった。競合している会社を気にしたり、相見積もりに負けたからとクヨクヨしている僕には本当に響いた。

 

長い目線で顧客に集中し続けることが大事だとわかった。

ペゾスは長期思考のシンボルとして1000年に1度カッコーが飛び出す1万年時計も建設してる。

 

短期で物事を考える事ことを辞める癖を付けることで、チームデザインとして考えて行けるので、顧客、会社のお互いに利益のある関係になっていけるのかと考えるようなれた。

 

ジェフ・ペゾスにかぶれて、本読んだくらいで何ができるんだよど思う人も多いだろう。

僕もそう思う。

でもAmazonの最初のオフィスは写真の通りだ。これを見ると勇気貰えるよね。

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あけましておめでとうございます!

本日は成人式。ブログも随分と間隔が空いてしまった。

特に理由は無く、強いて言うなら怠惰な毎日を装いながら、去年先延ばしにしてきた来年やろう2022問題や課題をこなしていた。

その他に今年こんなことやりたいなと思う事を実現するにはどうしたら良いかのプランを考えたり、案を作成して自分の中で消化させつつ、マネタイズしていく事ができるだろうかと、又、考え込んだりしていて正月は何となく終わった。

もちろんコソっと仲間内で新年会などもやりつつ、函館札幌を往復して楽しい話もいろいろ聞けた。

年始に「今年の抱負は?」など聞かれることが多い。

僕は今年だけで考えてはいないけれど、あえて言うなら、「社員全員が顧客目線で考えられる会社を目指す」かなと。

なかなか難しい部分もあるだろうけどこのテーマを軽んじる会社や仕事してやってる感覚の会社の未来はすぐに影響はないだろうけど、暗く閉じていくと思っている。

国交省も新4Kなどいろいろと取り組んではいるけど、なかなか浸透しなくて、人手不足にブレーキをかける事は出来ていない。

元請、下請構造を変えることは出来なくても、お互いにリスペクトし合える事はお金をかけずにできる。「やれ!!」「やってやってる!!」の関係性を変化させていく事が大事かなと。

これほど各ハラスメントに気を付けている時代なのに横行している建設業界は歪だ。

「自分がすべて正しい訳ではない、相手もその方法を一度考えている」と思うと環境は良くなっていくのではないかと思う。

お互い適正な仕事に対する、対価を払う事や、価格第一主義の経営者がシャッフルで淘汰される未来はヒタヒタと足音立ててきている。

1発目のブログから難しい話になったけど、端的に言うと「経営者も職人も互いを尊重して、顧客と儲けて健康に過ごしましょう」これだけ。

令和の時代はお題目のイメージアップだけではなくて、あたおか底辺の受け皿みたいなイメージから本当の意味で脱却して欲しい。

その状況が整いつつあるし。整えたいと僕は新年に思う。

本年は大変お世話になりました。

本年は皆様方に支えられまして、何とか本日12月28日で仕事を納める事ができそうです。下手したら仕事が無くなるヤバイと言えば、誰かに助けてもらったり、工事についても知識スキル不足を実感した年でもありましたが、支えられぱなしで当社は惰性で乗り切った感はありますが、とにもかくにも納める事ができました。

今年から、補修、土木工事を職人抱えて行っていくと決めて、何度もピンチはありました。でもやると決めた事を途中で投げずに続けることを選択していく中で、いろんな出会いがあり、本当に楽しい一年でした。

継続は力だとしみじみ思うわけで、只、継続する事にも努力が要るわけで、目先のことに振り回されながらも、やっていく事で色々な事が実現していけるのかなと思います。

来年度は工事部門では土木工事、補修工事をメインに力をつけて、取引先の皆様の発展に貢献して、自社も一緒に発展していけたらと、黒い欲望をコーティングしつつ頑張っていく。

あとは新規事業として始めた、新入社員コンサルティングを個人的には大変楽しみにしている。会社の未来を育てる、建設業の家庭教師的な形で新入社員をサポートしたい。サポート内容についてはいろいろ議論やすり合わせしていく部分がまだあるけれど、会社、新入社員にとって実りの多い事業になって欲しい。自分のサポートで新入社員が楽しく仕事できたり、お互いに新しい刺激を受けながら、会社にも良い科学反応が起きることを期待しているし、自分もたくさん成長できる機会を得れたことが嬉しい。

頑張る頑張るだと疲れてもたない、初老なので長く楽しく来年もやりたいと思う。

皆様も是非良いお年をお迎えください!

コンテナと言う輸送革命の本が面白すぎた話。

最近は老眼に悩みながらも本を相変わらず読んでいる。自分に知識をなんて偉そうなことは無くて単純に昔から本を読むことが好きだ。

この時期だと例年は溜まった本をブックオフに大掃除と称して売りに行くのが常であったけれど、今は電子書籍で読んでいるので、そんな習慣もなくなった。

電子、紙論争はよく聞くけれど、よほど手元に置いておきたい本以外は実際、書店で買う事は無くなってしまった。

今回読んで面白かったのは時代と共に輸送方法なんかは変わっていくけれど、重たい鉄の箱が輸送に革命を起こしたお話。

「コンテナ物語」

こんな重たいものを発明したおかげでどんな革命が起きたかと言うと、1度に大量の荷物を運べる、盗難が減る、荷下ろしの人手の削減が可能になった。

その結果、輸送コストが大幅に下がり物流が盛んになる、盛んになった結果、海外の様々な製品が輸入輸出が気軽にできることになった。

安い人件費の国に製造を発注する事も同時に可能となるので世界の物流や経済のスタイルが大幅に変わっていった。

パッと見ると非効率的に見える鉄の箱が世界の物流をここまで変える発明になるとは誰も思わなかったけれど、事実として経済的には様々な恩恵をもたらしました。

只、発明だけではなくてコンテナ自身も様々な改良を加えて時代に則した形で進化してきた。

コンテナ船を開発したのはトラック運送業者だった「マルコム・マクリーン」だと言われていて、トラックを船に乗せる事が難しいと考えたことからコンテナのアイデアを思いついたらしい。

コンテナが普及した一方で港湾労働者数が激減したり等、様々な弊害も生まれたけれど、世界経済を一変させた革命には違う形での雇用も徐々に生まれ、弊害と言われていたものは少しづつ解消された。

この本を読んで、輸送革命が起きてスゲー事だなと思いつつも、本当に感心したのは時間がかかっても最後は全員が恩恵を受ける革命だなってところが本当の発明。しかも基本設計は何も変わっていない。

以前だと廃棄コンテナが問題になったりしていたけれど、最近はコンテナハウスも一般的になり、逆に廃棄コンテナを欲しがる現象まで起きてる。

全てが完璧ではないだろうけど、概ね世界経済の発展に寄与し、生活を豊かにしていってる事実を経過を知れた、良著だった。

 

 

外国人技能実習制度と建設業について考えた。

僕の地元の様な街の魅力は高順位だけど、ガンガン居住者が減っている地方も珍しいと思う。

魅力と住みやすさは共存できないのかと悩むところではあるけど、住んでて快適とは確かに言い難い部分もある。良いところも沢山ある。

そんは僕の地元でもたまに見かける事も出てきた、外国人技能実習生。近所の足場屋さんに勤めていると思うけど、宿舎から自転車で職場まで通っているのを朝によく見かけている。みんなニコニコしながら通勤しているので、大変だろうけど日本での仕事を楽しめているのかなと勝手に思っている。

都市部では人材不足はもっと深刻なので、凄い人数の技能実習生の皆さんに建設業は支えられているのだろう。ただ何事にも光があれば闇があるように、本当に大事に教えたら育てている会社があるのは勿論、理解しているけれど、ただの労働力としてしか考えてなくて使っている建設会社も一定数あるのが、コロナでの不景気なんかで顕著に見えてきた感はある。

外国人技能実習生は母国の家族を楽にさせたい、日本で技術を身につけて明るい将来の基礎にしたいと希望を持って日本にくる。

そもそも技能実習生制度は日本での技能を母国に持ち帰って経済発展を担う人づくりが目的。日本での実習を希望する人は母国の送り出し機関と呼ばれる民間の斡旋企業に大金を払って実習に来る。

技術を習うこと、人材不足を補うことと双方にメリットのある形での制度だけれど、実は実習に来る前に「送り出し機関に総額100万円を支払っている」。

そのお金のほとんどは未来に投資という形で家族が借金して、実習を受けさせようとしている。

家族の期待を一身に背負ってやってきた実習生に聞いていた話や条件が違う現実が突きつけられる事も多いらしい。日本についてみると、挙句の果てにはコロナ禍での解雇。

解体業に従事していた実習生は「日本人の同僚は重いものは持たないし、足場の上での危険な仕事もいつも実習生まかせ」と言う記事もあった。

人材不足だから呼び寄せたのに解雇したり、それこそ昔の徴用工の如く使おうとする経営者は多いらしい。

先程の記事の実習生は「日本人にも良い人、悪い人がいる。それはどこも同じ」と控えめに話したと記事には書いていたが、家族の期待を背負い、日本に来て借金も返せない現状にどれだけ傷ついたかは計り知れないだろう。

建設業も安い労働力を探す事を止めるのが、闇から抜け出す第一歩だと思う。

それはどこの国の人問わずに、世界から笑われる国になる前に。