You've got another think coming

建設会社の総合サポート屋の考える事

ハードワークの習慣化を考えてみた。

久しぶりにブログを書くことになってしまった事に自己嫌悪している。

1週間に2記事は書いていこうと決めていたのに、忙しさにかまけてサボってしまっていた。頭の片隅には覚えていて、やらなきゃやらなきゃと思いつつズルズルと書かなくなっていた。

ビジネス本なんかを見ることが好きだ。只、なかなか実践をする事はできないことも多いけれど、やっぱり勉強にはなる。口の悪い人は「成功してる奴のビジネス本なんか読んでも自慢話ばかりで意味は無いよ」と言う。たしかにそんな側面をあるのは理解はしている。ただ成功している人の共通点的なものを朧げながら考えると、ハードワークを楽しんでいる。むしろハードワークだと思っていないのではないかと思った。

起業した時はハードワーク回避で淡々と仕事を自分のペースで出来て、ご飯食べて行きたいなと思っていた。そんな中で続けていくなかで、やりたい事はドンドン変わっていく、よく考えたら、作ったばかりの会社なのにそんな安定的な収入を得ていく事を確立するのには時間かかるし図々しいことを当初は考えたもんだと今なら思う。それ以来小規模事業なのだからと、環境の変化に合わせて、事業内容も変えたり、手を加えたりなんとかやってきた。

先程のハードワークの話になると、現状の収入を得れる事業に手を加えながら、新しい事業を企画したり、営業していく事になる。何本ものやりたい事をこなしていくのだから当然ではある。

資金とか何やら考えると苦しかったり、仕事が続かない、などなど寝れないくらい悩むことのオンパレードもある。

たまに起業したいって若者の相談に全てリアルに話す。ドリームブレーカーでは無いけれど、ガチのリアルを説明する。

でも最後に楽しいこともいっぱいある事も説明する。作業的に仕事ならずに楽しさをある程度、追求しながら過ごしていく事でハードワークも習慣化できる。

1日の中でなんとなくエロ画像を見てしまうように、習慣化できればは何事も粛々とタスクこなせると思う。

習慣化への鍵は「未来将来への楽しさを投影できるか」と結論できた。

ブログを習慣化できていない僕はまだブログに楽しさを見つけれていないのかも知れない。

全く修行が足りない話だ。

 

 

建設業にコロナ影響襲来の話。

建設業は人手不足で忙しすぎて何処も困っているなんて話はよく聞く。

だが、この前発表された、コロナの影響で倒産している業種ではなんとホテル業より多いの事が分かったのである。

f:id:die_blackend:20211122101124p:plain

勿論、すべてのデーターを鵜吞みにする訳にはいかない。

コロナの前から業績不振でトドメとなった会社、後継者不在プラスこんな時代だし、借金無いから辞めますなんて会社もあるだろうからだ。

にしてもにしてもである。

「よもやよもや」とあのフレーズを流行から2歩遅れて口走りたくなる。

建設業の公共工事に関しては、税金なので少し遅れて影響は来ることは、建設業に携わる人ならばみんな思っていただろう。

長引くコロナの影響で時間の概念がズレていたけれど、確実に時は進み、3年目程度となる今やはり影響が襲来してきたのだろう。

先程書いたような他の他の理由もあるだろうけれど、コロナの影響というか、先行きに不安があるから辞めてしまう会社も多いだろう。

人材不足が叫ばれて、各建設会社では様々な取り組みをしている、休日の確保、福利厚生の充実などなど、一昔前では考えられなかった良い方向に向いているのではないかと思う。

ICTやDXなど様々なデジタル化が進むなかで、人材や若手を確保しようと躍起に取り組んでいる会社、大変だけどこの波に乗り遅れないように頑張って投資していこうとする下請メイン会社。一番数が多いであろう、従業員10名程度の会社は何とか今を投資は出来ないけれど乗り切ろうとしている。

資金力のある会社は様々な困難に困難が訪れる前に対応できるが、地方の中小企業では分かっていても舵取りを上手くコントロールできないのが現実ではないかと思う。

先日、ある税理士と話をしていた時に「倒産、撤退も余裕がある企業は簡単にできる。余裕のない企業は現状維持で進めたら御の字で、前に進んで寿命を少しでも伸ばすしかか選択肢がなくなってしまうと」。

現状維持は衰退の第一歩何かの書籍でも見たことがるけれど、第一歩ではなくてそれしか選択肢が無くなってしまう事がこれから起こりうるのだろうかと思っしてしまう。

でもこんな世の中でも業績の良い会社も勿論あるわけで、見習う事をしながらなんとかこの時代を生き抜いていくしかない。

地方に関しては、地方創生と政府は力入れてくれるだろうけど、弱っているおじいちゃん状態の地方に今更、大手術なんて事も出来ないだろうし、手術したところで、反動で余計に死に向かうのではないかと考えてしまう。

暗い話が続いてしまったけれど、こんな中でも若者は新しく芽吹き、僕たちが見慣れた物をリノベーションしていく。

100年続いた空き家に住んでみたり、廃れてしまった文化や食を掘起こして発信していく。

僕らの建設業も僕が若い頃に将来はこんな事出来ますよとなんて言われたけれど、実現できなかった技術がアップデートされて登場している。

若い技術者と接する機会が多いけれど、たしかに0から何かを作ることに関しては弱い部分が見受けられる。ただ元からある技術にアップデートやバージョン上げるなんて作業に関しては、非常に上手い。

見せ方や使いやすさも良い物を発想してくれるイメージがすごくある。

「イマドキの若いもんはと」マウント取って嘆くより、僕らの世代は教科書ではなくて、参考書になれるように接していけたらと思っている。

「何かが無いと楽しめなかったり、作れなかった僕らの世代。現在あるものや過去の物を利用して楽しめる今の若者世代」

コロナから始まった令和は新しい世代に頑張ってもらいたい。僕らは頑張れる環境を作ることで、この不景気や閉塞感が変わるかもしれないと期待したいと思う。

昔、僕らの世代が若い頃に上の世代にこう思っていたはず。

「口出さないで、金をだせと」。

忘れないようにしたい。

 

 

 

 

ストレスとは上手く付き合うしかないと思った話。

僕は建設業なので基本的にリモートワークなんてものは少なくて、事務処理、書類仕事しているときくらいの頻度でそれでも会社の事務所でこなしているので、家にこもって仕事するのは休日にふと思いついた時や突発的な事が起きない限りは無い。

僕は基本的に無い物ねだりおじさんなので、現場に出ていると事務所で仕事したいと思い、事務所仕事していると現場に出たいなぁなんて呑気な事を考えたりする。

リモート的に自宅で仕事していた時もあったけれど、ずーっと仕事してみたり、何かしらお菓子を食べたりで全く自分に向いてないと感じた。

営業やら何やらしている今はなかなか現場に出ている事も少なくなっていくんだろうなと思いつつ会社で仕事している。

首都圏では業種、部署等で可能であればドンドンとリモートワークが推進されていて、通勤もなければ、生活リズムさえ習慣になれば快適なのかと思う。たしかに僕も満員電車で通勤する事が嫌で、朝早く出たり、人が少ない駅まで徒歩で歩いたりしていた記憶がある。それが無くなるだけでも相当なストレスから解放されるだろう。

ストレスが軽減される違う形で現れのもまたストレス。

ネットで記事を読んでみると、リモートワークが長すぎて、「もしかしてこれはリストラ」、「リモートワークと言う名の窓際族」など違う形で襲い掛かってくるらしい。

真面目な人ほど陥るらしく、「雇われて会社で仕事してフィードバックしてないと不安でたまらない」と思うそうだ。僕はそんな事は思わないのでストレスの個人差は大きい。

人はストレスに過度に晒されていると「闘争or逃走」の2択を本能で感じるらしく、体は闘争(逃走)モードになるらしい。いわゆる戦闘モードなのでこの状態が続いてしまうと、心の負荷は大きくなり、心にも体にも悪影響を与え、悪いことにモードのスイッチを切ることが難しくなる。

ストレスはすべてが悪いわけではなくて、適度なストレスを感じることでいつも以上の能力や力を発揮できる効果もある。

建設業では橋のコンクリート強度を保つ為にプレストレスコンクリートと言って、あらかじめ緊張を与えて、一定の効果後に開放してよりよい強度を確保する方法もある。

「適度なストレスはパフォーマンスを向上させるけれど、過度なストレスはパフォーマンスを著しく低下させる」。

仕事をしているとある程度はストレスがかかるので、どう付き合っていくのか、セルフケアしていくには、3Rが重要らしい。

「休息(REST)」、「癒し(RELAXATION)」、「趣味活動(RECREATION)」。

建設業ではやっと週休2日制がいろいろな問題を含みながらも増えてきている。

自分の調子に耳を傾けながら、仕事で緊張し、私生活で緊張をほぐし、ストレスと上手く付き合っていきたい。

ブログに書いては見たものの、実践となると難しい。

とりあえずビールでも飲もう。

 

相手の事を思わない営業は意味無しと思った話。

現場ばかりを今までやってきた僕にある日、突然突きつけられたのは営業しないと誰も認知してくれないって事。

もとから分かっている人からの連絡や仕事の依頼をこなしたり紹介なんて事で、人間関係の濃い建設業は回る事が多いように感じるのだけど、やはりふとした瞬間に手詰まりになるので無いかと考えた。

同じ環境である意味やって行くことも大事なんだろうけど、新しい顧客を獲得する事で、前からのお客さんにもより良い仕事を提供していくのが可能になるかも知れない。

とにかく色々な所に営業に行く事が多くなったし、多くするようにしてる。

初めて営業に行くのは本当に緊張したけれど、色々なパターンと戦略を少し考えると、緊張は半分くらいなったような気がする。

今後の仕事での新規顧客、協力体制強化をお願いしに行くバージョン、新しく提供したいサービスを聞いてもらうバージョンなど。なんて言うと営業慣れしているように聞こえるかも知れないが、実際は噛みまくり、汗かきまくりでもある。

緊張が半分になったのは、勿論、慣れてきたのもあるけれど、ある時から考えが変わる一言をもらった時からスタイルを変えた。

「ウチの会社にはどんなメリットがありますか?」

全くもって恥ずかしい話。こんな事を営業先に言われてしまうなんてと今なら思う。

僕の会社が仕事して頑張れば当然、相手にメリットあると潜在的に思って話をしていた。相手はお互いに将来的な話を構築していきたいと、聞いてくれてるの自分の事だけを一方的に話すのは意味無し。

それからは相手の為になるようなお話を試行錯誤しながら営業している。良い反応頂ける事もまたそれかったら反応も勿論ある。

それでも相手の事を思わない、ビジネス営業ではなく、相手の立場、会社を思ってやっていかなければならない。

中国の話で「貴方が私の立場を立ててくれるなら、貴方の話を聞きましょう」と言う言葉があると聞いた事がある。

ストンと納得できる言葉だ。

 

コーヒー飲みながら、YouTubeを見ていると、ふと恋愛系ユーチューバーの動画を見た。

嫌われる男の1位は

「自分の話ばかりして、しかもつまらない」

ズドンと大納得した。

心当たりある過ぎる。本気で辞めよう。

 

悩まないようにするのも悩む話。

生きていれば必ず悩みはあるわけで。悩みがないように見える僕にだって一応は悩みはあるわけで。

ただ悩みの質と内容が以前よりはだいぶ変わってきているように思う。

前は他責的からの自責的を経て、自己嫌悪ループだったのが、今は自己責任からの他力本願からの自力本願になろうとして挫けるパターン。

そう考えると逆に質の話をしたけれど悩みの質は低下しているかもしれない。

なんにせよこんなに悩んでも答えは出てこないし、解決したところで次の悩みが立ちはだかるだけ。うまく付き合うしかないと思いつつもやはりふと、考えてしまう。

会社経営している、なんてなるとお金もかかってくるので、加速度的に悩みが深く重くなる。

他人からの悩み相談にはある程度冷静に答えれる癖に何故なんだろうと。

人の悩みや苦悩を解決する為のコンサルティングもしているのに自分の事になると何故に対応にこんなに違いができるのだろうか。

仕事として考えてみると相手の立場になることやお互いに解決の道を探る事で重宝されるだろうし、問題が起こった時にどんな対処法があるだろうか、一緒に探る事で新しい解決の道や方法が現れるかも知れない。他人の問題を自分事で捉える事で円滑なコミュニケーションも図れるだろう。

ただ、自分の悩みになると途端に負の方に向かっていくのはなんでかと考えると「良い意味で他人事にできない」からである。

俯瞰的、客観的な判断が自分の悩みには出来ないことも多いし、コントロールできない悩みを考えてもと思うけれどやはり、負の思考沼にハマってしまう。

当事者なので当たり前だけど、当事者意識が強すぎて、他人事に考えられないから、視野が狭くなる。

ではどういう方向で自分の悩みと向き合っていけば良いかと考えた「自分じゃなくて、他人に起きている問題」と置き換える事にした。

置き換えて考えると、ある程度の視野の広さを確保できるような気がする。

自分を主人公にしてしまうと、思考がinからの陰になるけど、他人事に置き換える事で少しは悩む思考の方向性が変わった。

他人事なんて字面は良くないけれど、当事者だと見えない事も冷静に見えるものなのかもしれない。

「何でも自分事に捉えるクセは疲れるだけなので卒業しよう」

それでも考え込んでしまうなら信用している他人に相談した方が良いなって思ってから気が軽くなった。

心配なのは軽くなりすぎてスーパー他人事モードにだけならないように気をつけようと思う。

 

 

面倒だった人と会う事が楽しくなってきた話

起業してからも、実は僕は人に会う事が非常に面倒くさいと思っていた。

なんでかは分からないけど、人見知りもあったけれど、波風立てずに生きたいというささやかな気持ちが妙に強かったのだ。

起業すると言うことは自ずと営業もある程度はしなきゃならない訳で、前職でもしていたけれど、会社員では無いので、仕事は与えられるものではなくなり、自分で探すものになってしまった。

自分、人見知りなんでってな言い訳は通用しない訳で問答無用に仕事を探さないと会社も自分もthe endである。その想いから余計にプレッシャーとなり人に会うのが義務化や気持ち悪い営業スマイルへと昇華されていただろう。それでも昔からの伝手でなんとか経営していた感じでもある。

今年に入り、従来の仕事である、現場書類作成代行、サポートに加えて、新規事業として職人さんも抱えてトンネルや橋梁の補修工事もしている。

そんな関係もあって露頭に迷わせられないとの思いから、考えを改めないとダメだなと思い始めた。

「とにかくいろんな場所に行って、いろんな人に出会う」

これを実践しよう考えた。

人脈広げてウハウハに会社になりたいとかの欲望が無いわけでは無いけれど、やはり自分より凄い人に会ってみたいって探究心が人見知りを凌駕してしまった。

今のままの常識、慣習、当たり前だと思っている事をぶっ壊すには新しい概念や出会いが大事だと思うし、現状維持のままでは世界は狭くなる一方だ。

あと勘違いを自分でしてて、人脈作りなんて聴くと相手を利用するような偏見を抱いていたけれど、そんなことは無くて、お互いに助け合える関係になれるかもしれないと考えてから、気持ちが前向きになれるようになった。

打算的な人脈や人間関係はすぐに破綻する。

「その人に会ってみたい」「もっと知りたい」などの気持ちを基本にする。

それがビジネスにつながれば良いし、繋がらなくても成長できるだろう。

これからも人に積極的に会って自分はその人にとって何が出来るだろうを軸に楽しく出逢いたいと思う。

多分、その気持ちで嫁に接したら優しくしてくれるはず。

 

 

攻撃的な言動の人について考えた話。

イライラしてついついや、切羽詰まってついついと相手に攻撃的な言動をしてしまい、後悔や自己嫌悪することはある。

話の最初からやたらと攻撃的な人ってのも存在する訳で、生活していく中でまま、対応に迫られることもある。圧倒的な年上などであれば納得いく部分もあるけど、仕事はくれてやってるくらいの勢いの同年代や年下と思われる攻撃マンもいる。歳で区別したりはするわけではないけれど、やはりモヤモヤしちゃうわけで、それでもなんとか付き合おうと努力するのはいらない努力な訳で疲れてしまう。

僕も以前、商談していたなかで親切心で教えたことが、根も葉もない根拠をコーティングされて噂が流れて困ってしまったことがある。本人に誤解を与えたことをやんわりと言うと「それで何か被害でもあったのかい?」と。

なるほどこれは手強いなと思った。悪気は多少あるようにも思えるけど、ナチュラルに攻撃的な人なんだと感じた。

そもそもなぜに攻撃的だったりするのかを考えてみると、先制攻撃やマウントを取ることで、見下されたり、勝手に敵意を作って悪く解釈したりしてるのではないかと思う。

敵意を作って「バカにされた」、「見下されてる」と間違った受け止め方をして、周りにスピーカーしてしまう。

被害感情を先行してしまう癖は要するに「自信がないのではないかと思う」。

自己防衛意識が高まりすぎて、反発心が沸く思考の人とうまく付き合うのは至難の技だ。

相手のペースにのるとこっちもダメになって相手の思うツボである。

攻撃的な人に対抗するには対抗しない。対抗してイライラすると余計に足を引っ張られる。

不用意な声かけや関わることを避けながら、周りの自分を理解してくれる人と協力したり、相談することが大事なんだろう。

それでも避けられないとなれば、仕事を断ることを視野にも入れて、自分のご機嫌を維持するようにしたい。

だいたいだけど、攻撃的な人は一度避けると退職したりしてる。

やっぱり攻撃的だといくら仕事ができても組織に馴染めないだらうし、起業した攻撃マンが普通に戻ってた事もある。

お互い機嫌良く仕事をして結果出したい。