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建設会社の総合サポート屋の考える事

就職に履歴書や面接はいるのか?

細々ながら建設業を営んでいると、人を雇用しなきゃならない時はよくある。それは人手不足のどの業界でも雇用を今は大事にしているし、社員教育に凄く力を入れていて、少なからず僕も講師やセミナーなどでお仕事している。

 

最近の求人雑誌などを見ていると、面接無し履歴書不要などが目立つようになってきた。WEB応募だけで良いとは書いてるけど、進むとフォームが出てきて簡単な履歴書を作成している様な物だとは思うけど、昔に比べるとだいぶ簡素化している印象はある。

タイトル通りの事を周りの建設業の経営者に聞くと「職人に必要なのはスキルだし、学歴とかもいらないし履歴書はあってもなくても良いし、気にしてない」や「やっぱりあった方が良いよ。なんとなくその人の職歴とか気になるし」など色々と意見は分かれている。大手や規模の大きい中小企業では○次面接なんてものまであって応募もあるから良いだろうけど、細々な中小企業が日本の大多数な訳でそんな会社は面接に来てくれるだけありがたい「採用!!」ってなもんだろう。

建設業はもっと深刻で高齢化もプラスされるので少しでも若かったりなんてしたら神様ありがとうレベルである。スキルに関しても猫の手よりマシってもんだろう。長く働いてくれて覚えてくれたらと必死なのかなとも思う。

 

面接や履歴書は必要なのかって話に戻ると僕の意見としては「基本的に必要」だと思っている。

時代に逆行しているかもしれないけど、何事も簡単にしすぎるのは後々で問題が起きる事が段々とわかってきたからだ。

例えば履歴書で殴り書きやら端折って書く人の性格は見えてくるし、丁寧に書き込まれていると、色々と不安なんだろうかと察する事ができる。人となりが何となくだけどら感じれるのだ。

 

この前こんなデーターの記事を見てますます確信した事がある。いわゆる偏差値の低い大学の卒論は名前しかまともに書けてないと。文法、文書もだいぶ怪しいと。でもらなんでそれが起きるかというと、自分達に求められてるのはこのくらいと勝手に設定してしまう事や求める方も諦めて簡単な方向で了承してしまうからだと。

簡単に合格やゴールを設定することは安易でレベルなり妥協したくない部分にはちゃんと課題を設けるべきなのだと書いてあってその通りだと思ってしまった。例えば就職の基準を簡単にした事ででこんなことを就職したら求められるのかよなんてミスマッチやギャップが起きてお互いに不幸になるだけ。求めたりやって欲しい事は明確にするべきだし、報酬含めて正直に伝えられなくて、甘い言葉や制度でコーティングした事は所詮はボロが出て得をする事はない。

無駄な事は勿論する必要もないし、変えていくべきだとは思うけど基本的な求める部分のレベルは下がるべきじゃないと考えている。

 

スキルがあればどうでも良いと言っていた経営者は、入社して貰った職人は仕事はできても同僚と揉めるわ元請に噛みついて謝るのに苦労したと嘆いていた。

 

建設業はヤンチャした人やらなんやらの受け皿だし、腕一本でのしあがれるなんて言う人も多い。でも最後は人間性なのだ。腕の良い人が全員成功していないのが現実。何事も参入障壁を簡単にした業界や人事は誰も得しない。

人手不足って言葉にお互い踊らされないでお互いにメリットある協力関係で会社が成り立って欲しい。