You've got another think coming

建設会社の総合サポート屋の考える事

仕事に意味とやりがいを求めすぎなのかと思う時がある

最近、色々な世代や人と話すると、僕らの世代の就職は単純な動機だった。

「どんな仕事するんだろ?できるかな」

「給料どのくらいだろ?」

「良い先輩とか上司いたらラッキーだな」

僕はこのくらいしか考えてなかった。

それに比べると、今の若い人たちは仕事に凄く意味とやりがいを求めすぎなのかなと思う事がある。

 

勿論。悪い事ではない。

 

若手を教える僕ら世代におじさんたちは意味、やりがいの前に言われた事をこなせるだろうかとか、もっと単純だったし、一人で仕事を少しこなせるようになって、やっと意味、やりがいなんかを実感できたくらいだ。

その辺でミスマッチがお互いに起きているのかなと思っている。

 

期待に胸を膨らませて自分のやりたい仕事をこの会社で実現してやりがいを感じたいってのも分かる。ただ実際問題としては感じる事は難しいし、年々思いとはかけ離れるのかなと感じている。

ではそれなら最近流行のフリーランス、起業すれば自分のやりたいことを自由にできると最近のキラキラ記事みると思うかもしれないけれど、自分がやりたいこと好きな事で自由を感じて仕事できるほど、フリーランスも企業も甘くない。

むしろ自由を求めて逆に不自由になってしまう面もある。自己責任でストレスを感じないって良い面はあるけど、ご飯食べていけるかはこれまた疑問だ。

 

どんな企業や組織にも矛盾と不合理はセットである。企業でもどうにかしようとしているけれど、改善まで一気に急ハンドルで変化できる企業が少ない事もまた事実。だけど折角、やる気のある若手社員がいるなら上司となるおじさん達には頑張れる環境を作って欲しいし、そうでもない社員もそれなりに一緒に成長して欲しいと会社も上司も思うはず。その段階に行く前に離脱してしまう若手社員もいるから、上司も会社も対応が難しくなっている。

 

良い意味でも悪い意味でも情報がオーバーフローして自分の器じゃ入りきらない時代で比較して、自分に入りきらない情報を他人や会社に求めても何も変わらない訳で、それなら淡々粛々と若手は日々の仕事をこなして、上司は間違いながらもこなしている若手を見守っていくのはどうだろう。

 

会社で仕事をしているうちに、段々と色々な事ができるようになると楽しくなるはずだし、若手は仕事に過度なやりがい、意味を考えるのは少し先延ばしにしてみるのはどうだろう。成長と共に自然とやりがいは感じれるのではと僕は考えている。

上司も早く成長して欲しい気持ちを少し先延ばしにしてみるのはどうだろうか自分の若い時を思い出して。昔話はすぐ思い出せるでしょう。

 

「仕事でのポジティブ妥協は向上心や意義を捨てたって意味では無いし、マイナスな面を受け入れて、お互いに一致して協力できる妥協点を見つけるのが仕事で一番難しい事なんだと思うから」