You've got another think coming

建設会社の総合サポート屋の考える事

若手技術者と未来を並走する楽しみ。

今週からは札幌で約2週間、若手技術者講習での講師と今年から自分の会社で初めた会社の単位での若手技術者コンサルティングを行う事になっている。どの業界も人手不足が著しくなってから、随分時間が経った。建設業でも集める事が出来ている会社、できていない会社の圧倒的な違いは未来にどれだけ投資してきたかって事だと思う。

どんな投資をしているのかと思うけれど、未来を見据えている会社は若手、中途採用に本当に積極的だ。「ウチの会社も毎月、求人募集出してるよ。来ないけどね」なんて事を言う社長さんは大多数を占めている。僕が言うのは「求人募集はあくまで入口空いてますよって事で、採用した人をどうしていくか、どうサポートするかが重要ですよ」と。未来に投資できる会社は若手、中途で採用した人への投資として外部の会社とも連携しながら厚いサポートしている。

 

SNSでの発信力も重視しているし、そんな動きを会社全体で連動して行なっている。ダメな会社の典型は採用の時点で喜んで、辞めてガッカリで使えないと文句ばっかり言っている。たしかに採用したものの、お互いの思惑と違うなど、様々な理由で早期退職していく人は多い。未来を見据えている会社でも同じ事は起きるけど、そこでどんなサポートをしていけば防げるのかって事に注力している。人材不足ならせっかく来てもらって採用した人材の定着率を上げていく事が重要になる。

僕が若手だった時代は新卒採用人数も沢山いた。そして何年か経って聞くと、ほぼ辞めていて、10人雇って1人残ったなんて話を笑い話をしていた。若手技術者も無限湧きになる事はこれから起きる事は無い。自社で手詰まり感あるなら、外部会社を使う、内製化や他の部署での転属など色々な対応して未来に投資した会社が生き残っていくのは間違いがない。

 

「残った人が優秀」

 

こんな考え方は勿論、若手は見透かしていると僕は思う。管理職、役員はじめ根幹に「何人残るかな」なんて思っている熱量は必ず伝わっている。育成方針を持ってヴィジョンを若手に伝えている会社は定着率は向上しているし、会社の考えやイズムを分かりやすくしてその他の情報も共有もできている。

 

「今の若いのは何考えてるかわからん」、「根性も無いし、世間知らずだし」などなど色々と思う事は理解できる部分もあるし、それを言ったらお終いよとも思う。

 

ダメな人は若手もおじさんも一定数はいるだろう。ただ、ちゃんとしていて成長したいと思っている若手のやる気に気づかずダメカテゴリーに放り込んできたのが建設業の苦しんでる現状の要因。建設業はこれからどこに投資していくかで未来は大きく変わっていくだろう。給料を高くするだけでは人が集まらない時代になってきた今こそ知恵比べになっていくのかとも思う。知恵は自社も外部からも取り込んでチーム単位で協力して行くのか、自社でやるのかなどこれからシステムを構築していく事は会社の考え方次第で正解は無いけれど試行錯誤して行くだろう。ただ未来に投資できない会社、軽視している会社は少しづつ差は開きつつあるイメージはある。 

 

今週からの若手講習は僕も本当に勉強なるので楽しみにしている。こんな事思っているんだや、まだ学生気分で大丈夫かな?なんてヤキモキしている。会社単位でのコンサルティングだとじっくり向き合える楽しみとどんな事をコーチングしていくのかを考えて理解してもらう努力を僕もしないといけない不安と楽しみがある。

 

おじさんになって分かった事がある。「若手は何を考えているかサッパリ分からない」なんてのは自分自身も若手の時に同じ事を会社も上司も先輩も思っていたって事を忘れちゃいけない。

報連相を求めるなら、若手には「おひたし」で対応してあげて欲しい。

・怒らない

・否定しない(冷やかさない)

・助ける

・指示する(支持する)

 

未来は簡単に育ちません。手を繋いでまでと言わずともう少し目線を下げて、未来と並走してゆっくり歩いて行きましょう。時代は違えど自分の若手時代に教えてくれた人もそうしてくれていたんだから。

 

 

新年度はアナログ感大事にしていこうと思う。

新年度の金曜日にババーンとブログを更新しようと思いつつ、やる事があるなどど言い訳つけながら3日遅れで書いている。毎年なんとなく自分にテーマをもってやっていこうと思いつつも実践できることもあれば、出来ない事もあるわけで、昨年度は良い縁に恵まれたり、疎遠になったり色々な事を繰り返して、試行錯誤した一年だったと思う。

今年度はどうしていこうかなと思っていたけれど、職人さんもいるから現場仕事は勿論やっていくけれど、新人コンサルティング、書類作成支援サポートを強化していきたいと思って動いている。某国のせいなのか流行病のせいなのか、建設業は倒産する業種3位にいるし、資材もドンドン高騰するだけでなく、資材そのものの納期まで不安定になってきており、非常に暗い話題の多いスタートになっている。

なんだか暇になると焦ってしまって色々動いて空回りしていたけれど、今年はある程度、テーマを決めて動いている。「仕事ありませんか?こんな事できます」なんて営業は忙しい時は仕事貰えるかもしれないけれど結局は自分本位なのでリピーターになるかは難しい問題。

そこで今年はテーマは「アナログ感な付加価値作り」にしようと。

お客さんに付加価値を提供できるようにしなければ、あとはこんなことも始めているんだと営業のネタになればと思い、いろいろと仕込んだり勉強している。暇な時期に焦って営業しても相手も仕事が無かったら何も生まれない訳で、それならとネタ作り、話題作り、勉強に時間を割いて付加価値の作りを教わった。

まん防も落ち着いた頃合いを見計らって、様々な人に最近は会っている。生の声を聴くのは本当に勉強になる、それが仕事にならず利益を生むことが無くても知識を蓄える事ができれば有益な事しかない。会う事は昨今であればZOOMでもと思うけれど、最初は会わないと温度差が感じられなくて困るので、フットワーク軽くドンドン会いに行っている。

会いに行くうちに違う人も紹介して貰ったり、全く勉強しながら楽しくしている。4月から当社でも始める、新入社員コンサル、講師では新卒の最先端の考えも吸収できる。無駄とかひと手間かかると思うけれどアナログも捨てたもんじゃない。目指せ良質ブローカー、建設業のマッチングアプリの勢いである。やっぱり小さい会社なんだから大会社ではできないニーズで生きていくしかない。

チェーン店では同じクオリティで提供する事を第一にするけれど、町の定食屋さんはクオリティにバラつきはあっても「いつも来てくれるからオマケしといたよ」とおばさんに言われると、ありがたくてまた行ってしまう。

なかなかアナログは侮れない。

年度末の憂鬱

毎年、同じことを書いている気がする、気じゃない書いている。とにかく年度末は色々と憂鬱なのだ。何が憂鬱かと言われれば、前は仕事が追い込みで忙しすぎって事だったのが、建設業は平準化の波なのか思ったより僕の生息している地域はどこも火を噴いていないし、逆に「仕事ありませんか?」なんて連絡がきて、世間話をして困ったもんだと話をして電話を切るなんてことを何回やったか分からない。

 

憂鬱の原因は他にもいろいろあるけれど決算月って会社も多いと思う。業績がウナギ登りで税金バッチこいなら何の心配もいらないだろうけど、他の業種なんか見てもどこも苦心しているし、来年度に向けていろいろと手を打ったり、業務改善していると思う。希望があってもなかなかこればかりは慣れなくて気の重くなる作業だけれど、会社を経営している限りは戦っていくしかない。

 

最大の原因は年度末倒産であおりをくらった事だ。そんな気配を感じたことも無かったし順調に仕事を受注していると思っていた会社が突然に年度末に倒産した。

これには顔面蒼白、どうすれば良いかもわからない。弁護士交えて、債権者会議にも行ったけれど、所詮は儀式でしかなかった。

威張られたり、理不尽な事を要求する元請でもあったけどそんなところも倒産の原因だったのだろうかと思ったりした。

倒産については明日は我が身でもあるけれど、トラウマが植え付けられてしまった。他人は授業料と言うけれど、こんな高い授業料はイラナイとしか言えなかった。

 

そんなこんなでとにかく年度末は憂鬱なのだ。

通知表を貰って、家に帰る時の気分。

 

それでも前向きに新年度に向けて色々とやっていかなければならない。先週は岡山県はじめ中国地方に勉強しに行った。最先端な話を聞いて興味津々でこれらの分野にも是非、進んでいきたいと思わせてもらった。今の自分は現場ってアナログな部分とこれからのDXに向けての動きを平行に進んでいきたいと思うし、なんでこっちに最初から進まなかったのだろうとか、自分にイライラもした。3期目の今年は業態を変えたけれど試行錯誤で難しかった。ただどこか他人任せで、他責だったのではと感じている、試行錯誤はずっと変わらずやっていかなければならないけれど、業態は時代に合わせて変えていかないとダメだと思っている。

岡山は暖かくて、桜も咲き始めていた。春になればまたいろいろな動きもあるだろうし、お客さんの要望に対応よく応えれるようにフットワーク軽くやっていこうと思う。

 

 

自己投資を楽しく習慣する方法を考えてみた。

自己投資なんて言葉は昔はただの勉強って言葉で、いつの間にやら自分への投資に変換された。面倒くさがりだった僕だけどいつの間にやら人に会いに行ったり色々とお話を聞かせて貰う事が本当に楽しくなった。自己投資は資格を取る努力をすることが王道で今なら副業に生かしてみたり転職に有利な条件を自分で高める事ができる。

 

勉強と言うと少し抵抗がある部分が出てくるけれど、人に会う事、質問する事、新しい分野の話に億劫がらずに習慣化できているのは自分本来の新しい物好きなんかも関係しているかもしているけれど、周りの影響も大きい。資格取得の努力とは別ベクトルで周りの人も新しい分野に挑戦したり、未来に投資しようとする人が多いので刺激を受けて自分もと焦りつつ無理矢理に習慣になってきたのが実際のところ。そういう意味で周りに凄く恵まれている。しかも新しい人をドンドン紹介してくれるのでさらに勉強になる。ああ本当にありがたい。なにか新しい場面や壁に直面すると関連書籍を読み漁り、最近では便利なものYouTubeでアップしてくれてる人もいて、いろいろと自分の中で質問できる力がついたなと思ったら、周囲に質問してみると教えて貰えたり、人を紹介してもらえたりする。ああ本当に本当にありがたい。このシステムは本当に素晴らしいけれど、いざ色々質問してみると自分の知識のなさに絶望する事になる。

 

スキルアップ、事業展開、資格取得などなど自己投資にもいろいろな形があるけれど、習慣化も含めて考えてみると「その道のプロ」に聞くと共通していることは試行錯誤の繰り返しを楽しんでいる。言い方を悪く言うと「勝ちに対する執念と勝つまで続ける姿勢」あきらめの悪い人が結果を出している。

自己投資が例えば収入や事業展開、転職に有利や評価されるかどうかは分からない部分も多いけれど、確実に自分で勉強したり、教えてもらったスキルは自分の為になる、それが自己投資じゃないかと言えば当たり前だけど、楽しんで試行錯誤している事が大事なんだろう。

 

先週は中国地方の友人のところで様々なスキルや知識を見せて貰った。自分の中で消化できたこと、展開していける事を色々と考えて試行錯誤したい。出張で美味しい物食べながらいろいろな話を聞けるのは本当に嬉しい。興味アンテナは妖怪アンテナよろしく高く錆らせないように興味をもって色々と見聞を広めたい。

 

暇な時期は楽しく勉強する事に僕はしている。ガンガン営業して仕事に繋がる事を経営者としてやらないの?と言われることもあるけれど勿論、営業はするけれど頻度は少なめで、相手だって仕事のない時期に営業に来られて仕事くださいと言われても難しいだろうしウザい。それならこんな事どうですかと提案できるアイデアを持っていた方が相手も興味を持ってくれるだろうと僕は思っているし、逆に忙しい時期に頼りになれように営業したい。それが正解か間違えているかは分からいけれど、楽しく試行錯誤してあきらめずに気長にやっていきたい。

最適解はいつも自分の気持ちの中にある。揺れ動くのがタマに傷。

手詰まり感のある時こそ見聞と勉強大事。

これから出張でゆっくり色々と見て、見聞拡げて、勉強してこようと、空港にいる。

今日はホワイトデーなんてことも忘れて、やけにカップルさんが多いなとノンキに思っているおじさんだ、

前回の中国地方に出張した時が2年前でコロナ禍のなり始めで、何となくみんなマスクつけてるような状態だった。

次に来る時はコロナなんて無くなってるだろうと漠然と思っていたけど、手を変え品を変え、まだ猛威を奮っている。

なんとなく政府も世間一般的にも手詰まり感ムードが流れ、飲食、観光業始め、志はあれど撤退していく会社も多数出て来てる。

勿論、僕の建設業も公共工事含めて縮小傾向になりつつあったり、後継者問題などでじゃあ店仕舞いしようかなんて話もよく聞くようになった。何もなく、会社を畳めたりするところは何の職業でも良いけれど、優秀で本当は畳むことも前に行く事も難しい会社が多いだろう。

それでも希望を持ってみんな頑張っている姿を見ると本当に頭が下がる思いだ。

必死に営業したり、業態変換、経費削減などなど色々な手を打っている。というか打ちすぎている。この後どうすりゃいいんだよと思いつつ耐えてるイメージはある。

ウクライナ侵攻やら暗いニュースが垂れ流されてるのに嫌気がさしてテレビも見なくなってしまった。YouTubeで好きな動画をただ見るのも、時間の無駄に思えて来たけれど、ふと仕事に役立ちそうな動画もいっぱいある事に気づいた。

昔、腕の良い職人さんが「俺は借金だらけでも、この技術があれば返せるし、どこでも食っていける」と。結局その職人さんは突然飛んで、どこいるか分からないし、まさか、腕は回るけど、首が回らなくなるの予想外だったろう。

でもまあどこかてなんとなく食えているんだろうなとは思う。

こんな時からどんな事態にも、どんな仕事の要求にもある程度答えれる知識や見聞を武器にしたいと思う。自己投資なんてカッコつけたもんではなくて、見ただけでも勉強、教えてくれる人に会って縁ができるだけでも万々歳。

色々なお話や未来を育てる話なども頂いている。この先、自分に何ができるかはわからないけど、楽しく勉強していきたい。美味しいもの食べながら勉強なら尚更良い。

手詰まり感ある時こそ、楽感的に過ごしたい。

歳をとってくると文章もポエム風になるなと反省しつつ、これも勉強になると言い聞かせる。

 

安全第一はなぜ第一か考えてみた。

僕が働いている、建設業界はスローガン、標語的なもので視覚的に注意喚起する事が非常に多い。昔からその手法は変わってなくて、朝の朝礼やちょっとした掲示物でもさまざまな標語なんかで注意を促す。

 

その中でも良く言われることが「安全第一」。

労働者の安全を守ろうとすることから生まれたスローガンでアメリカの製鋼会社が作ったそうだ。

元々は「生産第一、品質第二、安全第三」だったものを先程言ったUSスチール社長であった、エルバート・ヘンリー・ゲーリーが労働者の悲惨な状況を見て、「安全第一、品質第二、生産第三」と変えたのだった。

只の人道主義的な精神からの経営姿勢だったらここまでへ浸透して歴史を作る事はなかった。何故にここまで世界が掲げるスローガンになったかと言うと単純に生産性が上がったこと、労働者不足にならなかったこと、最大の要因は「以前より利益が格段に上がったこと」。

 

安全第一として労働者を守る事で、利益があがった事で、経営者の意識も変わり、現在でもずっとこのスローガンは生きつづけている。

利益が伴わないとやはり絵に描いた餅になってしまったり、維持する事ができなくなる。

安全第一が儲かる仕組みになるのかというと、危険を排除していくと効率化が進む、効率を高めるには、使用する工具、資材も含めて、整理整頓が徹底される。整理整頓が徹底されると無駄がなくなって動きが早くなり、人員機械配置も容易に視覚的管理する事で非効率が激減していくからだ。

 

建設業で考えると、重機、人員配置が無駄なくできるば生産性が上がる事はわかる。あとは出来るだけ機械をある程度は介する事で、仕事の簡略化、職人技に委ねていた部分の省略化も可能なってくるだろう。昨今、ICTや様々な取り組みも加速していく。スキルの低い職人、新人にも障壁が下がることで、属人化から全員が仕事を分配できる多能工化も達成できていくだろう。

 

勿論、日本中の建設現場を見ると「安全第一」ってスローガンはどこも掲げて、意識しながら仕事している。昔は「ケガと弁当は自分持ち」と言われた時代からはだいぶ進んだ。

ただ、作業している職人に対しての注意喚起として利用されていて、本来は経営者のトップポリシーだった理念がいつのまにか、職人への注意力や安全意識を持たせる為だけのお題目になっている側面がある。

難しい部分はあるだろうけど、安全第一を守る事は経営姿勢としては経営者、責任者は認識しなきゃならないし、副産物としては儲かると考えたほうが維持できていくだろう。

 

お題目で惰性でやっている安全は意味が無い。

安全、快適は儲かるんだと、経営者も労働者も安全第一を色々な意味で改めて考える事が大切かもしれない。

 

仕事のルールについて考えたみた。

仕事も会社もルールは非常に多い。きちんと決められたルール、なんとなくできたルール、個人間でのローカルルールなど様々だ。

 

40代の僕は中学生の時はバンドブームでもあったので、よく聞いていた、ブルーハーツなんかの影響を受けまくったので、「ルールなんてぶち破れ」「冴えない顔して満員電車に乗る大人になんかなるな」と思っていたが、ルールが無いと不安になり、冴えない顔して満員電車に揺られるおじさんになってしまった。全くもって現実は厳しいのだ。

 

ある程度のルールと言うレールに乗っからないと仕事は進んでいかないわけで、それぞれが意見をぶつけてルール無視な状態は信号の無い交差点のように事故が多発するだろう。只、時代にそぐわないルールも多々存在しているのが、会社や仕事、大きく言えば自分が所属している業界なんて事もある。そこに各所属している個人や肩書、立場をなんでもミックスして折り合い、妥協しながら会社と仕事は存在している。

 

会社で考えると、就業規則なんかを基本としたルールと独自に会社や個人間でできた謎ルールも存在している。一定のルールが無いと、働いている側も働いてもらっている経営者側も不安だ。ただ経営者、上司側の不安を解消する為に設けられてる謎なルールや時代にマッチしていないルールがあまりに多いように感じる。どんなルールでもあれ実は存在意義があったから生まれて、おかしいなと思いつつも守られているルールあるのが現状だ。

 

ルールには必ず理由と経緯があるから発生したのであり、ルール変更をしていくには違う理由と経緯を認識させて、作るルール、削るルールをハッキリさせていかないといけないのだ。ルールは多い、少ない方が良いのかではなくて、「必要か不要か」の選択が大事なんだろう。

 

以前ルールを守らせるためのルールを説明する資料を作らされる現状に辟易しいたこともあった。社内会議でこんなに資料作って、最後はみんなゴミ箱に捨てていく事実になんの意味があるのだろうと思っていた事もある。でも資料の多くなった経緯も提出しなかったり、紙を出して欠席したりなんて事が続いたから、資料が膨大になり社内会議の重要性を会社側が認識させる経緯からの結果だった。

 

ルールを変えたり良くしていく事は経緯もあるのでなかなかに困難だ。神ルールであってもいきなり導入ではみんなの反感や顰蹙を買う事もあるだろう。だいたい反感などが起きる場合はルールを守っていない人やそのルールを批判している。それだと浸透している物を変更していく事は難しいだろう。既存のルールに対して、改変していく形がスンナリ受け入れて貰えるのではないかと思う。経緯を踏まえつつルールを改変するのであれば、今まで守ってきた物を踏襲しつつなので受け入れやすくなる。

 

会社や自分の職場環境を良くしたいなどは、経営者も従業員も思いは一緒だ。ルールは時には自分を守ってくれるし、ルールがあるから秩序もある。一定のルールが無ければ物事は上手く進まない。時代にチューニングのあったルールを提案するには、既存のルールを守ったうえで提案するべきだし、経営者や上司は提案してもらえる土壌を作り、神ルールなら取り入れる度量もなければならない。

「所詮はルールを守るのも破るのも人なのだ」

 

不安がルールを作り、不満がルールを破る。不満でただ破るよりお互いにより良い方向になる、ルール改変はした方が絶対にいいだろう。ルールに縛られて経営者や上司が警察になると息苦しいし、平和な職場環境を維持向上したいなら、ルールを守り提案して改変していく。

 

殺伐としたり人間関係の悪い会社は謎ルールが多く感じる。ではルールがゆるい会社はどうかと言うと我儘不満も多い会社もある。

ルールは絶妙なバランスに保たれている。人間のやる事をコントロールすること自体が難しいルールなのかもしれない。