You've got another think coming

建設会社の総合サポート屋の考える事

電話嫌いが急増しているって話。

最近の若い人は電話嫌いが多いらしい。かく言うオジサンの僕も電話大嫌い。コロナで色々なことがズタボロになったけど、メリットある部分もらあって、それが打ち合わせに行かなくても良くなったり、簡素化となる方向に役所も含めて向かっていくきっかけになったことはとても良いことだと個人的に思う。

もともと連絡手段としてはメールやLINEなど様々なSNSも含めて、多様化している時代なので、電話で話すメリットが減少しているのだろう。あとは電話だとプレッシャーを感じるや、断りの電話なんかもしづらいらしい。たしかに相手の声を聞くのはプレッシャーを感じる場面は出てくるかも知れない。顕著な例で面白かったのは飲食店を経営している友達が『バイトが無断で休んだ』と怒っていて、次の日に出勤したバイトに問いただすと『店のTwitterに書きましたよ!』でその場で全員目眩した話。それは極端な例としても連絡手段はなんでもありであとは常識で考えてもらうしかない現状なのかもと知れない。緊急性の無い電話については全くの時間泥棒の感覚しかないのもたしか。育ってきた環境の違いもあるだろうけど今の時代は家にいれば1人で過ごすツールも充実しているし、外に出なくても楽しい事やエンターテイメントが手のひらにある時代なので便利にいろいろな情報を簡単に得れるので、体験や失敗の絶対量が減少してきているかもしれない。それなのに会社なんかでは20年前のフォーマットで若者を枠にはめて、マネジメントするので圧倒的ミスマッチからの退職など悲劇を繰り返すことになる。若者に媚びる必要は無いけれど、歩み寄ることで新しいコミニケーションな文化を共有して行く事で抵抗感が薄れてくるのではないのかと思う。SNSなどで匿名でのやり取りが当たり前の世代に顔や声をさらす行為ともなりえる電話が嫌われるのは必然なのかもしれない。先日、ZOOMで打ち合わせしていたらネットの調子が悪いのか、会話にタイムラグがあった時に先方から「電話で打ち合わせしよ」との事で電話持ったおじさん2名がパソコンの前でアナログとデジタルが融合してサラウンドないっこく堂のような打ち合わせになり、内容が良く掴めずに結局はメールで文書化して確認する事になって、ますます僕も電話が嫌いになった。

思い出はコロナの中に。

 第2波なのか第3波なのかわからないけどコロナは猛威から脅威になりつつある。

 特に飲食業、観光業においてはとてつもないダメージとなりつつある。

幸いにも建設業は今のところダメージ的には他の業種に比べて少ない印象はある。

 漠然と怖いのはこれからどんなダメージや被害が派生していくのがイマイチみんなイメージできないところなのではないのだろうか。

 人の動きが無くなると厳しい業種は想像できたけど、イベントなどの人が集まる事ができない事による弊害がこんなに甚大だとは思わなかった。

 一生に一度しかないイベントでもある、卒業式や成人式なんかも中止になるのは非常に切ないなと思う。

 先日、地元の観光地で親子3人組がカメラマンと写真撮影をしていた。娘さんは恐らく成人式用に用意していたのであろう振袖でニコニコとロケーションの良い場所でカメラマンの要求通りでポーズをとりながら撮影している。親子の様子をなんとなく見ていると何とも言えず複雑な表情に見えた時に、この娘の二十歳の思い出はコロナで上書きされるのだと思うと傍観者である僕ですらなんとも切なくなった。僕の成人式も友達と居酒屋に行ったくらいしか思いつかないけど、女の子は少し意味合いの重さが違うように感じる。

 例えばハンコなどの無駄な部分が多い事に関しては急速に変化や選択制になっていくのだろうと思うけど、伝統的な事や一生の思い出になるものにはコロナと共存できる方法が見つかると良いなと思う。

 12月なのにこんなに静かで不穏な年末を過ごしていく事になるとは考えもしなかったし、人と会えたり、自由に行動できることが尊いものだとは思わなかったし、「幸せは失って初めて理解する」ってのは誰かが言ってたけど、物凄くあやふやなバランスの上に当たり前が存在していたことを認識した、思い出になりそうな令和2年だった。

 令和2年は綺麗なお姉さんのインスタ見てひとりでニヤニヤしてたけど、令和3年は気を付けながらでも、お酒飲んで、バカ話できる環境になって欲しい。

 

 

 

 

まずは工事を絵本で理解してもらうのはどうでしょうって話。

 

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今回は岡山県の友人の会社(クラフトコム)で、企画販売している絵本について紹介したいと思います。

建設業では古くはイメージアップ費、最近では現場環境改善費として、経費計上されてることもあり、昔から様々なイメージアップに取り組んできた歴史があります。

例えば花壇、第三者に分かりやすいような看板や工事完成予想図などなど。

地域住民の皆様に説明する機会にもパンフレットを使用する事が多いのですが、やっぱり工事の概要は説明してもお互いに業界用語の羅列などでお互いに理解不足や説明不足でフワフワ理解で終わる事が多かった記憶があります。

建設業の本当のイメージアップはやはり、美観や清潔感は勿論の事、疑問があったら互いに質問や問い合わせしやすい雰囲気があったりすることの方が、クレームや苦情の発生を防ぐと思うし、お互いが顔見知りになることにより、生活環境を理解して工事を進めていく事ができるのかなと思います。

地域住民の皆様に工事の意義や施工の意味をなんとなく理解してもらえ、子供たちにも喜んでもらえるツールとして絵本が凄く向いてるのかなと。

あとは一度絵本として認知してもらえると、看板や例えばカレンダー、デジタルサイネージでのお知らせなんかで派生できるので、会社自体の営業ツールとしても活かす方法が出てくる。

デジタル化が進んでいくなかで高齢化や少子化の問題も横並びの令和ではアナログな暖かさってものが大事だなと感じた。

 

 

 

 

 

 

手抜き工事と施工不良。

最近、色々と話題の橋梁補修工事での手抜き工事。

手抜き工事と施工不良なんて言葉がニュースで並べられてるの見ると、一般的には同一の意味での感覚なのかなとも思う。

実際に現場としては語句の意味合いはだいぶ違うような気がする。

意図的に行うか、行わないかの部分が重要で手抜き工事というと意図的で、施工不良となると意図していない部分や連携不足、技術不足などが起因しているイメージではある。

今回のケースでは鉄筋を数本入れるべき箇所に入っていないなどが問題だけど、コスト的に鉄筋数本で莫大にコストが下がるわけではないので、なにか違う理由があるのではなどと、邪知深く考えてしまう。

工法的に特殊工事になると各工事会社が個々の施工箇所を仕上げながら、完成していくので、現場代理人は工程と連携などに苦心することとなる。

この問題は他の部分で根が深くて、賃金の水増しやらなんやら様々な事が元請と一次下請の間で認識の相違、手抜き工事の時は関わってなかった等々と問題噴出水掛け論の様相となってきる。

こんな時にふといつも思うのは、元請の現場代理人は会社の指示でしたのか、自分の考えでしたのだろうかって事である。

会社の指示であれば救いようもあるような気もするけど、自分の考えで手抜き工事を行っているなら救われない。

苦心してモノづくりしていて、会社に理念や理想をコストのせいで曲げられるのは本当に悲惨。

コストについても十分考えながら工事を進めていたとはずと思いたいし。

こういう話を聞くと、やれICT、ドローンなんかのハイテク技術が発展しても、現場は守れるけど現場代理人は守れないじゃないかと考えてしまう。

工事の人手不足、技術者不足を補うハイテクだけど、だいたいの建設業の問題はローテクというかアナログというか人間が原因。

この辺を可視化したり、明確化しないと結局はどんなに頑張ってイメージを良くしても、技術者や職人が育つ土壌は痩せ細るのかなと思うし、最初の理想や理念をある程度は保護して、育てる会社や社会がないと、未来が無さすぎる。

 

 

モチベーションの維持が1番難しい話。

仕事でもモチベーションを上げて行こうぜ的な話や会議は色々あれど、何日かでモチベーションがダダ下がりするのは何故かとふと思った。

そもそもとしてモチベーションって?

モチベーションを理論として考えると、ざっくりと人の欲求は5段階に大別できる、「マズローの欲求5段階説」なるものがあるらしい。

生理的欲求から自己実現欲求まで報酬などによる欲求は外的に、自己欲求は内的に満たされると。

モチベーションの維持がこんなに難しいのは、行動の対価が内発的な動機から外発的な動機になると無意識にモチベーションは下がる傾向になる。

例えば最初は相手の期待を感じて、期待に沿った成果を出そうとする傾向になる。その行動によって報酬が得られると得られない時は途端に報酬がないからやらない、したくないと動機が置き換わってモチベーションが低下するパターン。

確実に結果がでるという期待値と結果によって得られる報酬の大きさが成果に関係するパターン。

努力の量に報酬や自己実現欲求を満たして、モチベーションの維持は可能となるみたいだ。

具体的にモチベーションの維持方法としては「努力と成果の因果関係の明確さ」「心理的、具体的な報酬」を得られる事で人は頑張りを保つことができる。

簡単に言うと、成果が得られる環境で適切な報酬を貰う事が大事な訳で、それを仕事の環境に置き換えて考えると、モチベーションを維持することのハードルは相当に高いことになる。

会社員であれば報酬は一定なので心理的な報酬を得る事が維持につながり、経営者やフリーランスの人はやはり金銭的な報酬とそれに見合った成果がなければモチベーションは維持する事は難しいとなる。

妥協案として「自分の力量プラスアルファくらいのゴールの設定」「金銭的プラス心理的な報酬の設定」で小さい成功体験で継続的なものにしてけば良いのではと気づいたので実践しようと思う。

書いてて思い出したけど、モチベ下がり案件として、老害やクレーマー、訳の分からない顧客、上司などの外的要因を忘れていたので、モチベーションの維持って本当に難しい。

鬼滅の刃を見て、一般ウケするものへの抵抗について考えた。

昔からの傾向でもあり、老害まっしぐらな最近では益々、一般ウケしているものに対して、抵抗してしまう。

俺は男だしとか昭和生まれ的な要素なのか、流行しているものに乗っかるのはとかく好きじゃなくて抵抗してきた感はあった。

焼肉でもどう考えてもタレで食べた方が美味しい部位であっても、塩で食べる的な。

そんなことでマウントを取るわけでも、取れるわけでもなく意味もなく勝手に自分でガードを固めて、厨二病的な自我を保っていた。

 

ふと、そんなに流行っているならとアマプラで鬼滅の刃を見始めた。

最初は構えて、「ガンダムを超えるアニメなど存在しないのだ」と呟きながら見ていたが、ドンドンのめりこみ一気に見てしまった。

「ヤベェ面白ぇ」と語彙力ゼロの感想しかなかった。

副産物的に起きた気持ちが、「流行るのはわかる。一般ウケする事は悪い事じゃ無い」。

じゃあ何故に見てもいないものに、抵抗を感じたりしてのかと言うと、なんでも鬼滅の刃に乗っかった商品がビッチ的に乱発したり、急に鬼滅の刃推しの人が現れて、見たことないなんて人生半分損してるくらいの勢いで言われるのに嫌悪感を抱いていただけなのかも。

流行るものは、やっぱり勢いがあるので面白い。感染力も伝播量も加速度的に多いので、派生する事も考えると、とてつもないエネルギーがやっぱりあると思う。

それに触れないでおくことや、古いものに拘る事は悪くはないけど、確かに損してる部分はある。

食べ物の例では無いけれど、出されたものは好き嫌いせず食べて、それでも苦手なものは克服する事は難しいので、代替品なり違うもので対応するなりすれば良い。

頭から流行りに乗りたくないなんて、あやふやに拒絶するのは勿体ない。

「過去があるから今があるし、今があるから過去もある」となんかの本で読んだような、読まないような、曖昧な記憶の中で、思い出したこの言葉に老害まっしぐらなんだから新しいものに触れて、頭のアンテナ錆びないようにしようと誓った。

 

 

 

経営者の考え通りに会社は変わる話。

経営者の考えに沿ったものに会社は変わる。「そんなの当たり前だろ。」って思うだろうけど、あくまでそれは個人商店レベルや小さめの中小企業での話なのかなと漠然と考えていた。

ところが会社名もみんな認識している様な何千人も雇用している会社でも、経営者の考えが色濃く反映される事に面白いなって感想と同時に怖さも感じた。

某有名居酒屋チェーンの記事を見てて、ブラック企業の代表的に言われていたけれど、政治家になったことで、経営から離れると、様々な努力のおかげでホワイト企業大賞を受賞した。

ホワイト企業大賞も相当に怪しい賞らしい事は横に置いておいても、一時期のブラック企業イメージよりは、業態変化等もあれど薄らいだ印象は持っていた。

只、政治の世界から創業者が経営に戻ってきてまもなくに労働基準監督署より勧告を受けたと聞いて、影響力っての絶大だなと思った。

 

創業者の影響力が絶大だなと思う話は、建設業にも多くて、ボンボン的な若社長もいれば現場叩き上げの後継者が大きく分けると2種類いるかと思う。

会社のコンサルティング的な事をしていると、2代目の社長からたまに相談を受けるけど、創業した父親との関係性や考え方で、会社の体質が決まっていて、2代目がなにかをするにしても、なかなかに難しいと。ボンボンで現場を知らないから、経営者としてダメかと言うとそんな事は無くて、逆に業界の常識にとらわれない発想でおもしろい事をやって話題になる社長もいる。現場叩き上げの社長の方が職人さんの気持ちを確実に理解している部分が多いので創業した父親と衝突している場面が見受けられる。

「会長(創業者)は新しい事や自分に理解できない事は全部拒否する」、「息子(社長)は自分の足元もグラついてるのに新しい事や目立つ事ばかりやろうとする」。

お互いこの調子である。両者の意見が一致しているワードが一つだけある。

「時代が違う」これだけ。

それでは永遠に分かり合えるわけがない。2代目社長と折衷案で何年か計画で新しく変える事を書き出して、承認を貰うようにアドバイスして作成してみせると、創業者は意外に好反応な事が多い。

これが何かを意味すると、会社であっても、親子って関係性が垣間見えて話がこじれてる。第三者が介入することでなんとなくお互いの体裁を保てる部分もあっての好反応なのだ。

全く面倒くさい。

では現場ではなく営業系社長はどうかと言うと、創業者と関係性は良好だけど、職人さんの反応はイマイチ。

これまた面倒くさい。

他人で構成されている、大きい会社でも経営者の思想が色濃く反映されるのに、中小企業のケースで考えたら、創業の思想丸出しなのだ。

創業者が後継者不足の時代に継いでくれる、身内なりがいるのであれば、お互いの譲れない部分と将来についての考えを大枠で決めておくべきだし、残すもの、持っていくものとの区別と色分けをキチンとしておかないと、なんとなく分かってくれるだろう的な感覚でやるとお互いに大ケガして、働いてくれてる他人に迷惑かけますよって話。

そんな話を3人でするとなんとなく親子から会社の感覚に戻って、うまく作用してくれてるパターンもある。厳しい時代だからこそ、お互いに理解して協力しないと乗り切れないのだ。

 

経営コンサルティングの人とお話する機会があって、「2代目、3代目になると中小企業は一気に経営が悪化するパターンがあるのは、新しい事業なんかでダメになったりするのですか?」と聞くと、「いや創業者と2代目の圧倒的な違いと強さは何かわかる?」聞かれて、少し考えこんでしまった。

「答えはね資金繰りの巧みさと死んだふりできるから創業者は強い。2代目になると本当に資金繰りが下手。創業者は死んだふりしてお金をとりあえず借りたり、回収したり、褒めて怒って働いてる人たちを煙に巻けるのが強い(笑)」。

妙に納得してしまった。その辺も計算なのか自然に身についた処世術なのか、2代目と僕がやっていた事もこうなるだろう計算でやらされていた、死んだふりなのかとさえ思えてくる。

創業者との静かな戦いはかくも厳しいと悟った。