You've got another think coming

建設会社の総合サポート屋の考える事

叱るを考えてみる。

新人コーチングをしていると、管理職の方に叱り方について聞かれることがあり、叱ることについて自分の中で考えてみたい。

まず怒るは問題外だとは思うけれど、「叱る」は組織として非常に重要なんじゃないかと思っている。

ややもすると叱るですらハラスメントの一種に括られるかも知れないけれど、怒るが感情的であって、叱るは立ち位置が違うと捉えている。

じゃあ「叱る」の定義はと聞かれると、僕は行動を否定せずに諭すことがメインで教えるって側面を持っている事じゃないかと。

だけど最近聞く話としては叱って変な風に捉えられて、退職されたら困るなどの事から「叱ると損する時代」に上司や経営者も突入していることから尻込みしている。現実的に総体的に叱ることが少なくなってきている事からか叱る効用が十分に発揮できなくなってきてる。

又、経営者も上司も叱り慣れていない事から感情移入してしまい、叱るつもりが怒りに変換されて悪循環のオンパレードになってきている。

人手不足の中でやっと入社した新人に気を遣うの良いけれど、退職を恐れて叱らないのは無関心に等しい行為だと思う。ある意味はお互いに楽な事かも知れないけれど、何も役に立てない事が多くて最悪なコミュニケーションだと言える。極端な話をすると叱る事のない無関心な上司に甘えていたら会社での地位も給与もそれなりで終わるだろう。上司も部下もとにかく叱る、叱られることは立派なコミュニケーションだと思って実践して欲しい。

褒めるのは簡単だけど叱るのは難しい。それは叱る事は相手の嫌がる事やこんな事言われたら困る事を言うからだ。だからこそ口先だけではなくて本気で叱らないといけない。嫌われたくないが叱るを阻む。人間だから勿論、波風を立てる事は避けたいし、そもそも好かれたいし、良好な現場で環境で仕事したいとお互いに望んでいる。でも組織や仕事やっていく中でその状態に持っていく事は難しい。お互いに譲歩して譲り合ってそんな環境を危ういバランスで保ちながら築いている。そんな関係の中でも叱る場面は出てくるわけで、どう叱れば良いのかを考えてみると。逆から考えてみるのはどうだろうと思った。例えば上司は部下側だったらこんな叱り方されたら嫌だや部下から上司はこんな態度や言動があったなら叱る意味なんて無いなんて思ってしまう事を意識する事が大事なので叱るときの基準やルールはこの辺が妥当ではないのかなと考えてみた。

失敗を叱って挑戦しない事や怠慢を見逃していないのか?

大きな失敗ではなくて小さな失敗を叱る

相手の目線に合わせて叱っているか?

叱る中にも愛嬌はユーモアはあるのか?

叱る前にキチンと褒めて評価しているのか?

自分が建設業界に入ったばかりの時にはパワハラなんて言葉は無くて、叱りを通り越して怒鳴る人が多かった。そんな中珍しく僕に仕事教えてくれた師匠は非常に論理的な人だった。小さい事を良く怒った、小事は大事って言葉があるように小さい失敗の繰り返しが大きい失敗を呼び込む側面があるのか、小さい事を叱られているうちに、あまり大きい失敗はしなかったし、リカバリーできる範囲だった気もする。

最初は細かい事を叱られて面倒くさいやこんな事までと思う事もあったけど、説明は論理的で笑いもあり叱り上手な人だったと思う。

叱る事を諦めて良好な関係風を作る事はできるけれど果たしてそれで良いのだろうか?

叱らない会社は劣化の一途をたどる。無関心は敏感に悟られるし、真剣に叱った結果であればその後の結果については反省材料にすれば良いだけだ。

 

小さい事を叱れと言うのは大きな失敗に繋がる可能性を少しで減らしていく効果も勿論あるけれど、違う効果もあると感じている。

小さく叱ってきちんと褒めて評価する事を繰り返すことで上司も叱り方に慣れるし、叱られる方も慣れていく。マンネリは避けるべきだけど、そうした関係の中でやっと良好な関係もみえてくるかなと思う。

真剣に仕事している上司の叱りには信念があるから相手に必ず伝わると僕は思う。

ヘラヘラ媚びても値踏みされるだけで信念をもって論理的に叱る。

叱る方も叱られる方も叱り上手と叱られ上手の関係がお互いの成長を促進させるし、居心地の良い組織の第一歩になると僕は思っている。