You've got another think coming

建設会社の総合サポート屋の考える事

自己投資を楽しく習慣する方法を考えてみた。

自己投資なんて言葉は昔はただの勉強って言葉で、いつの間にやら自分への投資に変換された。面倒くさがりだった僕だけどいつの間にやら人に会いに行ったり色々とお話を聞かせて貰う事が本当に楽しくなった。自己投資は資格を取る努力をすることが王道で今なら副業に生かしてみたり転職に有利な条件を自分で高める事ができる。

 

勉強と言うと少し抵抗がある部分が出てくるけれど、人に会う事、質問する事、新しい分野の話に億劫がらずに習慣化できているのは自分本来の新しい物好きなんかも関係しているかもしているけれど、周りの影響も大きい。資格取得の努力とは別ベクトルで周りの人も新しい分野に挑戦したり、未来に投資しようとする人が多いので刺激を受けて自分もと焦りつつ無理矢理に習慣になってきたのが実際のところ。そういう意味で周りに凄く恵まれている。しかも新しい人をドンドン紹介してくれるのでさらに勉強になる。ああ本当にありがたい。なにか新しい場面や壁に直面すると関連書籍を読み漁り、最近では便利なものYouTubeでアップしてくれてる人もいて、いろいろと自分の中で質問できる力がついたなと思ったら、周囲に質問してみると教えて貰えたり、人を紹介してもらえたりする。ああ本当に本当にありがたい。このシステムは本当に素晴らしいけれど、いざ色々質問してみると自分の知識のなさに絶望する事になる。

 

スキルアップ、事業展開、資格取得などなど自己投資にもいろいろな形があるけれど、習慣化も含めて考えてみると「その道のプロ」に聞くと共通していることは試行錯誤の繰り返しを楽しんでいる。言い方を悪く言うと「勝ちに対する執念と勝つまで続ける姿勢」あきらめの悪い人が結果を出している。

自己投資が例えば収入や事業展開、転職に有利や評価されるかどうかは分からない部分も多いけれど、確実に自分で勉強したり、教えてもらったスキルは自分の為になる、それが自己投資じゃないかと言えば当たり前だけど、楽しんで試行錯誤している事が大事なんだろう。

 

先週は中国地方の友人のところで様々なスキルや知識を見せて貰った。自分の中で消化できたこと、展開していける事を色々と考えて試行錯誤したい。出張で美味しい物食べながらいろいろな話を聞けるのは本当に嬉しい。興味アンテナは妖怪アンテナよろしく高く錆らせないように興味をもって色々と見聞を広めたい。

 

暇な時期は楽しく勉強する事に僕はしている。ガンガン営業して仕事に繋がる事を経営者としてやらないの?と言われることもあるけれど勿論、営業はするけれど頻度は少なめで、相手だって仕事のない時期に営業に来られて仕事くださいと言われても難しいだろうしウザい。それならこんな事どうですかと提案できるアイデアを持っていた方が相手も興味を持ってくれるだろうと僕は思っているし、逆に忙しい時期に頼りになれように営業したい。それが正解か間違えているかは分からいけれど、楽しく試行錯誤してあきらめずに気長にやっていきたい。

最適解はいつも自分の気持ちの中にある。揺れ動くのがタマに傷。

手詰まり感のある時こそ見聞と勉強大事。

これから出張でゆっくり色々と見て、見聞拡げて、勉強してこようと、空港にいる。

今日はホワイトデーなんてことも忘れて、やけにカップルさんが多いなとノンキに思っているおじさんだ、

前回の中国地方に出張した時が2年前でコロナ禍のなり始めで、何となくみんなマスクつけてるような状態だった。

次に来る時はコロナなんて無くなってるだろうと漠然と思っていたけど、手を変え品を変え、まだ猛威を奮っている。

なんとなく政府も世間一般的にも手詰まり感ムードが流れ、飲食、観光業始め、志はあれど撤退していく会社も多数出て来てる。

勿論、僕の建設業も公共工事含めて縮小傾向になりつつあったり、後継者問題などでじゃあ店仕舞いしようかなんて話もよく聞くようになった。何もなく、会社を畳めたりするところは何の職業でも良いけれど、優秀で本当は畳むことも前に行く事も難しい会社が多いだろう。

それでも希望を持ってみんな頑張っている姿を見ると本当に頭が下がる思いだ。

必死に営業したり、業態変換、経費削減などなど色々な手を打っている。というか打ちすぎている。この後どうすりゃいいんだよと思いつつ耐えてるイメージはある。

ウクライナ侵攻やら暗いニュースが垂れ流されてるのに嫌気がさしてテレビも見なくなってしまった。YouTubeで好きな動画をただ見るのも、時間の無駄に思えて来たけれど、ふと仕事に役立ちそうな動画もいっぱいある事に気づいた。

昔、腕の良い職人さんが「俺は借金だらけでも、この技術があれば返せるし、どこでも食っていける」と。結局その職人さんは突然飛んで、どこいるか分からないし、まさか、腕は回るけど、首が回らなくなるの予想外だったろう。

でもまあどこかてなんとなく食えているんだろうなとは思う。

こんな時からどんな事態にも、どんな仕事の要求にもある程度答えれる知識や見聞を武器にしたいと思う。自己投資なんてカッコつけたもんではなくて、見ただけでも勉強、教えてくれる人に会って縁ができるだけでも万々歳。

色々なお話や未来を育てる話なども頂いている。この先、自分に何ができるかはわからないけど、楽しく勉強していきたい。美味しいもの食べながら勉強なら尚更良い。

手詰まり感ある時こそ、楽感的に過ごしたい。

歳をとってくると文章もポエム風になるなと反省しつつ、これも勉強になると言い聞かせる。

 

安全第一はなぜ第一か考えてみた。

僕が働いている、建設業界はスローガン、標語的なもので視覚的に注意喚起する事が非常に多い。昔からその手法は変わってなくて、朝の朝礼やちょっとした掲示物でもさまざまな標語なんかで注意を促す。

 

その中でも良く言われることが「安全第一」。

労働者の安全を守ろうとすることから生まれたスローガンでアメリカの製鋼会社が作ったそうだ。

元々は「生産第一、品質第二、安全第三」だったものを先程言ったUSスチール社長であった、エルバート・ヘンリー・ゲーリーが労働者の悲惨な状況を見て、「安全第一、品質第二、生産第三」と変えたのだった。

只の人道主義的な精神からの経営姿勢だったらここまでへ浸透して歴史を作る事はなかった。何故にここまで世界が掲げるスローガンになったかと言うと単純に生産性が上がったこと、労働者不足にならなかったこと、最大の要因は「以前より利益が格段に上がったこと」。

 

安全第一として労働者を守る事で、利益があがった事で、経営者の意識も変わり、現在でもずっとこのスローガンは生きつづけている。

利益が伴わないとやはり絵に描いた餅になってしまったり、維持する事ができなくなる。

安全第一が儲かる仕組みになるのかというと、危険を排除していくと効率化が進む、効率を高めるには、使用する工具、資材も含めて、整理整頓が徹底される。整理整頓が徹底されると無駄がなくなって動きが早くなり、人員機械配置も容易に視覚的管理する事で非効率が激減していくからだ。

 

建設業で考えると、重機、人員配置が無駄なくできるば生産性が上がる事はわかる。あとは出来るだけ機械をある程度は介する事で、仕事の簡略化、職人技に委ねていた部分の省略化も可能なってくるだろう。昨今、ICTや様々な取り組みも加速していく。スキルの低い職人、新人にも障壁が下がることで、属人化から全員が仕事を分配できる多能工化も達成できていくだろう。

 

勿論、日本中の建設現場を見ると「安全第一」ってスローガンはどこも掲げて、意識しながら仕事している。昔は「ケガと弁当は自分持ち」と言われた時代からはだいぶ進んだ。

ただ、作業している職人に対しての注意喚起として利用されていて、本来は経営者のトップポリシーだった理念がいつのまにか、職人への注意力や安全意識を持たせる為だけのお題目になっている側面がある。

難しい部分はあるだろうけど、安全第一を守る事は経営姿勢としては経営者、責任者は認識しなきゃならないし、副産物としては儲かると考えたほうが維持できていくだろう。

 

お題目で惰性でやっている安全は意味が無い。

安全、快適は儲かるんだと、経営者も労働者も安全第一を色々な意味で改めて考える事が大切かもしれない。

 

仕事のルールについて考えたみた。

仕事も会社もルールは非常に多い。きちんと決められたルール、なんとなくできたルール、個人間でのローカルルールなど様々だ。

 

40代の僕は中学生の時はバンドブームでもあったので、よく聞いていた、ブルーハーツなんかの影響を受けまくったので、「ルールなんてぶち破れ」「冴えない顔して満員電車に乗る大人になんかなるな」と思っていたが、ルールが無いと不安になり、冴えない顔して満員電車に揺られるおじさんになってしまった。全くもって現実は厳しいのだ。

 

ある程度のルールと言うレールに乗っからないと仕事は進んでいかないわけで、それぞれが意見をぶつけてルール無視な状態は信号の無い交差点のように事故が多発するだろう。只、時代にそぐわないルールも多々存在しているのが、会社や仕事、大きく言えば自分が所属している業界なんて事もある。そこに各所属している個人や肩書、立場をなんでもミックスして折り合い、妥協しながら会社と仕事は存在している。

 

会社で考えると、就業規則なんかを基本としたルールと独自に会社や個人間でできた謎ルールも存在している。一定のルールが無いと、働いている側も働いてもらっている経営者側も不安だ。ただ経営者、上司側の不安を解消する為に設けられてる謎なルールや時代にマッチしていないルールがあまりに多いように感じる。どんなルールでもあれ実は存在意義があったから生まれて、おかしいなと思いつつも守られているルールあるのが現状だ。

 

ルールには必ず理由と経緯があるから発生したのであり、ルール変更をしていくには違う理由と経緯を認識させて、作るルール、削るルールをハッキリさせていかないといけないのだ。ルールは多い、少ない方が良いのかではなくて、「必要か不要か」の選択が大事なんだろう。

 

以前ルールを守らせるためのルールを説明する資料を作らされる現状に辟易しいたこともあった。社内会議でこんなに資料作って、最後はみんなゴミ箱に捨てていく事実になんの意味があるのだろうと思っていた事もある。でも資料の多くなった経緯も提出しなかったり、紙を出して欠席したりなんて事が続いたから、資料が膨大になり社内会議の重要性を会社側が認識させる経緯からの結果だった。

 

ルールを変えたり良くしていく事は経緯もあるのでなかなかに困難だ。神ルールであってもいきなり導入ではみんなの反感や顰蹙を買う事もあるだろう。だいたい反感などが起きる場合はルールを守っていない人やそのルールを批判している。それだと浸透している物を変更していく事は難しいだろう。既存のルールに対して、改変していく形がスンナリ受け入れて貰えるのではないかと思う。経緯を踏まえつつルールを改変するのであれば、今まで守ってきた物を踏襲しつつなので受け入れやすくなる。

 

会社や自分の職場環境を良くしたいなどは、経営者も従業員も思いは一緒だ。ルールは時には自分を守ってくれるし、ルールがあるから秩序もある。一定のルールが無ければ物事は上手く進まない。時代にチューニングのあったルールを提案するには、既存のルールを守ったうえで提案するべきだし、経営者や上司は提案してもらえる土壌を作り、神ルールなら取り入れる度量もなければならない。

「所詮はルールを守るのも破るのも人なのだ」

 

不安がルールを作り、不満がルールを破る。不満でただ破るよりお互いにより良い方向になる、ルール改変はした方が絶対にいいだろう。ルールに縛られて経営者や上司が警察になると息苦しいし、平和な職場環境を維持向上したいなら、ルールを守り提案して改変していく。

 

殺伐としたり人間関係の悪い会社は謎ルールが多く感じる。ではルールがゆるい会社はどうかと言うと我儘不満も多い会社もある。

ルールは絶妙なバランスに保たれている。人間のやる事をコントロールすること自体が難しいルールなのかもしれない。

 

パクりはダメ!!オマージュなら良し。

色々な業界の社長とお話しさせて頂く機会が増えてきている。その中には勿論、とんでもない成功している人もいれば、成功に駆け上がっていくんだろうなという人、マネタイズは難しい部分あるけれど、楽しんで仕事している社長など、会社の数だけ形がある。

成功している社長を見ていると、温和でオーラというか、自信がある。僕みたいな貧乏社長だと金が有ると自信が満ち満ちるのかと、負け惜しみの一つも言いたいくらいだ。お話しさせて頂くと、勉強になる事だらけ。お話ししただけなのにビジネス書一冊読了したような気分。

社長の気になった言葉は何をやっても失敗ばかりで、段々と自分で考えるのも嫌になってきた。コンサル頼もうかと思ったけど、ふと成功している会社を「丸々パクると怒られるので、オマージュして真似していこ」だ。

オマージュとは何かというと、基本的には「人物、作品などに敬意を表する事」とらしい。

そのままパクって商品名とかだけ変えてやるのはアウトだとは思うけど、敬意をもって真似していく事は悪くないんだと思った。

「リスペクトしながらオマージュ」と書くと色々ボヤけて横文字って良いねと思いつつ、早速真似の真似をオマージュしながら行っていこうと思ってる。

社長に最後ふと気になる事も聞いてみた。

「何か悩みがあるんですか?」と僕。

「会社のお金やら人事やら先のことやら考えると悩んで寝れなくなる」と年収推定ウン千万社長は言った。

経営していると皆んなお金とのチキンレースしているとは思ったけど、ここまで成功してもお金に悩むのかと驚愕した。

以前にお話しした事のある面白い社長さんは「失ってもお金だけだし、悩みないよ。飯も美味いしよく寝れる」と。

このメンタルはオマージュじゃなくてパクろうと決めた。

 

 

 

自分の思っていたことが消化できた話。

ツイッターなんぞをポチポチと思いつくままにやっていると、なるほど、面白い等々の呟きがタイムラインを駆け巡っている。

僕のタイムラインは公式でボソッと呟くので、建設業関係の人が非常に多い。そんな中で㈱悦電工 (@etsu_denko01)さんの呟きにグッと来るものがあった。

 

一応、従業員を雇っているものとして、何となく思っていたけど、言葉にならない事をこの呟きでハッキリと分かった。お互いの立場は違えど、同じ会社で仲間としてやっていく事として、モヤモヤ思っているけど、言葉にすることができず、自分でもどうしたいかと言うことが非常に分かりやすく消化できた言葉だった。

 

現状維持で良いとおも思わない、向上したいと思う者にはいくらでも力を貸す。些細な事でも当たり前に感謝できない者、人情が分からない者、会社、リースの物だからと粗末に扱う者、会社の利益を考えない者はやはり、一緒に仲間としてやっていく事が難しいと思う。只、今挙げた項目を軽く考えて仕事している人は多々見受けられる。でもそんな人は何年か経ち務めていた会社に聞くと、やはり退職している事が多い。

 

最近ではGoogleやAmazonの大手企業での採用条件は「good natured person」だと言う。直訳すると「生まれつき性格の良い人」。

優秀な人は世界中で起業したり、個人でもいるので協業体制で協力して貰う、優秀な人が社内にいると属人化したり、競争してしまう事で、良い方向に向いているときは良いけれど、悪い方向に向かうと社内でのバランス崩壊が起きてしまうからだ。

それならば仕事はそれなりでも「生まれつき性格の良い人」を採用する事で社内仕事に協力的であったり、揉め事が無い方がトータル的にはまとまる。優秀な人とは対外的に協力する方がお互いに利益を生む考えだ。

 

日本では、特に僕がいる建設業では優秀な人をドンドン社内に採用して、優秀な人のアシスタント的に対外的な会社や個人としごとしていることが多い。どちらが正しいのかはお国柄もあるので、分からない部分はあるけれど、職人仕事の意識の問題もあって優秀な人はクセがあって、社内でも揉めたり、応援の会社もあの人なら手伝いたくないなど、色々と経営者も苦心してるところも見受けられる。勿論、人間的にも素晴らしいプロ意識を持った職人さんがいる事も分かっている。

 

いずれにしても仕事をしていくには、人の協力は不可欠であり、会社の利益につながる事をしていかなければ、経営者、従業員ともに生活が成り立たない。

会社の物だから、粗末に道具を使ったり、だらしない事が続けば自分の給料も上がらず、生活は変わっていかない。

 

採用人事での話や従業員への話が続いたけれど、経営者も思いが分かって欲しいなら、同じことをしない事が肝要だ。

「生まれつき良い人」は損切が早い傾向があると感じているから。

ミニマリストの道は遠い。

最近ミニマリストって言葉を良く聴こえてくるようなった。ミニマリストって何だろう?ざっくりイメージとしては物を少なくして、生活している人ぐらいの認識だ。

基本的な考えとしては、必要最小限の持ち物で丁寧な暮らしを実践している人を指すらしい。

 

僕は家と営業所でのデュエル生活をしているので、とにかく物が多くなりがち。なんで物が増えるかと言うと結局、2拠点なので無駄な物を買っても収まってしまうのだ。それから消費物のストックを多めにしてしまう。原因はなんとなくわかってはいたが、相も変わらずに物を買ったり、ストックしたりを続けていた。

 

ふと年末に物が溢れた分を大掃除がてら、毎年リサイクルショップに売りに行っていた。今年も例年通りに売りに行ったら、モノを抱えた冴えないおじさん達の行列をみて途端に恥ずかしくなってしまった。本はKindleで読むようになったから整理はできるようになったし、旅行好きなのだから、カバン一つでいつでも引っ越こせるくらいの勢いでモノを少なくして暮らしたいって衝動にかられた。

とにかく今の生活で使っていない物を集めて、自分だけミーティングを開催してみようと思った。

 

自分ミーティングの結果は衣類とストックしている日用品が多い事は分かった。只、衣類は着ないものを売る方向、日用品は現状を把握しながら、消費していくので解決する簡単な問題であった。

頭の中でワーッと考えると物が溢れてしまっていると思い込んでいたが、改めて生活状態を見てみるとそうでもない事が分かる。

 

会社や現場では整理整頓を常に言い、整理整頓こそが効率化に繋がると思っている僕は買いに行く事ですら無駄に思えてストックが増えてしまう、効率厨なのだ。それが良い方向に向いてるときは良いが、無駄なモノ、使わないモノを少しづつが段々と大量に増えていくんだろうと自己分析してみた。現場仕事に関してはモノが無いと仕事が進まず、余計な経費が掛かることになるから仕方ない部分は建設業あるあるだとは思うけど、自分の生活までに効率を持ち込む必要はないよなと思った。

 

自称ややミニマリスト生活で生きていこうと決意し、本当のミニマリストはどんなもんなのかと情報を探してみると、ちょうど良い豊かな暮らしをしている人もいるけれど、モノを断捨離する事に依存してしまい、家の中でキャンプと言うか、サバイバル状態で暮らしている人まで様々だ。いわゆる極限ミニマリストになるともはやカーテンですら、無駄なモノに思えてくるらしかった。

 

何事も程々と言う事が大事なんだと思った。無駄のない豊かな暮らしを目指してミニマリストになったのに無駄を無くすから、モノを無くすことが目標になって、豊かな暮らしを放棄する事は本末転倒だと僕は思う。モノに溢れて、自分以外はゴミ屋敷みたいに思われながら、暮らしているのも、豊かな暮らしがモノの多さに変換されているだけの意味のない暮らしに変わる時がある。

 

「程々、ちょうどいいを心がけて暮らしをして行こう」と半年使わなかったモノは捨てる、会社のデスク回りも片づける、整理するなど自分ルールを制定した。

 

決意後に色々と部屋を整理してみると、なんだか殺風景に思えて、観葉植物か何か買うかなとAmazonを覗いた。

 

ややミニマリストの道ですら、かくも厳しい。